珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

敢えて自分に枷を嵌めながら記事をひり出す覚書|脳裏でずっとパンジャンが爆発してる二重の地獄

いわゆる(いわゆらない)

7日分くらいの短い日記をまとめて1本の記事にして公開し続けてるブログを見て「その手があったか……」と大変感心したので私もやることにした。普段の思索する記事とは別の、いわゆる思索しない記事ですね。フツーの日記みたいなのを500字くらい書いて、溜めておく。んで週1で公開する。これだけで3500字くらいの立派な記事が1本出来上がるの、なんかお得だな。毎日日記つけたいけど紙とペンじゃどうしても長続きしないし、かといって500字くらいの日記を毎日上げるのもなんか性に合わない。500字くらいの思索しない記事で2000字くらいの思索する記事が埋もれてしまうのはなんとなく気に喰わない。だがこれはいい。どうしてもっと早く気が付かなかったんだろう。

 

小学生の頃に一度「筆が乗る」という感覚を知っておけばその後そこそこ文章を書ける人間になると思うんですよね

紙とペンで日記を書くのはおっくうだが、モニターとキーボードで日記を書くのはまあまあ捗る。時代が進めば日記の在り方も変わるものね。いつから紙とペンで日記を書くことがおっくうになったんだろう。紙とペンで日記を書くのがおっくうでなかった時代がありましたかね?小学生時代の連絡ノートの日記とか夏休みの日記とかマジで嫌だった。文章を書くのは当時から好きだったが日記だけはマジで嫌だった。特に書くことがないのに無理やり書くことを捻出させられている感じが嫌だった。書くことがないのに書く理由がどこにある。書きたいときに書けばよい。書きたいことがあるときに書いて、書きたいような気分のときに書いて、書けるような具合のときに書いて、それ以外は紙とペンなんか捨て置けばよい。まあ……小学生の頃は文章なんか書けなくともよいが、近い将来は小論文だの記述試験だのなんだので嫌でも文章を書かなければならないし、やや遠い将来はレポートだの論文だの御社を志望する理由だのなんだので厭でも文章を書かなければならないし、文章の訓練はしておくに越したことはない。

 

第5回P1グランプリなんか聴きながら文章が書けるわけないだろ!いい加減にしろ!

ところで今これはニコニコで実況動画を垂れ流しながら書いているのだけど、ウーン、めちゃくちゃ気が散る。正直言って拷問に近い。気の利いた文章が全然出てこなくて、脳の浅瀬でちゃぷちゃぷしているものをそのまま掬い取って漉しもせずにお出ししている感じ。自分は静かな環境じゃないと書けないタイプなので、音楽聴きながら書ける人ホント得だなってうらやましいし、ラジオ聴きながら書ける人とかもう異次元の存在なんですわ。耳と脳味噌がこう……うまい具合に……処理を分けているというか……聴くところと考えるところが別……なんですかね……知らんけど……今実況動画の方は人の声がなくなってBGMだけになってるところなんですけど……それだけでもなんか全然……だめ……文章が……かんがえられない……わたしは……わたしは……

 

一旦ブログ切り上げて実況動画見るわ

はい

 

実況動画見てきた

おもしろかった

 

もうあんまり書くことないから更に進化したうちのキッチンワゴン載せていい?

ふふ かわいい

 

ベッドの上でなんか死んでる

ふふ かわいい