珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

耐え難い眠気と労働についての覚書|睡魔が先か不機嫌が先か

ここ最近は猛烈に機嫌が悪い。

客を見てもいらっしゃいませが出てこない。出てくる方が珍しい。星5いらっしゃいませPUガチャ。いらっしゃいませの排出率0.7%。客に対して思うことが「なんやコイツ」「さっさとしろボケ」「うっせえ死ね」「邪魔」の四択しかない。頭の中に油粘土のようなものがぎっしり詰まっていて、上手く働かない。わからん。とにかくイライラする。私の視界に映るのを止めろ。客であることを止めろ。客をするな。もう店のこともお前らのことも知ったこっちゃないので、好きに入って好きに使って好きに出ていってくれ。

こんな具合で泥濘んだ土地の上をずるずる這うような不機嫌がずっと続いている。しんどい。本当にしんどい。労働をする上で大切なのは店内が忙しいか忙しくないかではない。自分の機嫌が良いか悪いかだ。死ぬほど忙しくても機嫌さえ良いならどうにでもなる。逆にどんなに仕事が楽な日でも機嫌が悪ければそこは地獄だ。不機嫌が憎い。不機嫌が憎いって凄い感情だと思う。感情が感情を憎んでいる。

とはいえ己の不機嫌の原因は既に判明している。昨日分かった。

眠いのである。

「眠くて不機嫌になる」という現象はまず、「私は寝不足である」というはっきりした自覚があって、そこからどんどん機嫌が急降下していくものだと思っていた。しかし実際はそうではなく、「よくわからんが私は不機嫌である」というぼんやりしたところからスタートして、ある時ふと、頭がぽーっとして瞼がなんとなく重いのに気づき、「もしかして私は眠いのでは?」という結論に辿り着く。

そうして眠気を自覚した瞬間、急に駄目になる。眠いという情報が体の隅々まで行き渡る。急にまっすぐ立っていられなくなる。立っていられないので眠気覚ましにぐるぐるぐるぐる動いてみたり、手の甲を抓ってみたりする。そんなことを必死にやっているうちに本来やるべきことを忘れる。ただでさえ睡魔に思考回路を食われている当人は、眠気を飛ばすための行為で全てのキャパシティを使い果たし、その辺をただただ無心で右往左往したり突っ立ったまま真顔で手の甲を抓り続けるマシーンと化す。目の前に客が来たことにも気づかない。どうやら何か質問があって、それで更に許可を得たいらしい。何の許可が欲しいか知らんがまあいいんじゃないか。承認。はーいいいですよ。……何が?

この世には2種類の人間がいる。眠い人間か、そうではない人間だ。

そういえば海外のどこかのアパレル店には、入店した客が目的に応じて色の違う腕輪?を付けることによって、「私は洋服についてのアドバイスが欲しいです」「私は商品を見ているだけなので話しかけなくて結構です」というアピールが出来るシステムがあるらしい。店員もそういうことやろう。「私は頭が痛いです」「私はお腹が痛いです」「私は怪我をしています」「私は寝不足です」という腕章を付けて働こう。体調不良はその症状自体よりも、それを押し殺すための気力の方に色々持っていかれることがある。

話を戻す。労働時間はまだたっぷり残っているのに機嫌が悪くて死にそうだ。そんな時には珈琲を飲もう。おいしくて真っ黒な珈琲を飲もう。ミルクも砂糖も入れず、バタークッキーもチーズケーキも添えず、あの底の見えない魔性の淀みを一気に飲み干そう。あなたは珈琲中毒の売れっ子作家だ。珈琲中毒の売れっ子作家がどす黒い珈琲を欲している様はなんだか絵になる。エモーショナルだ。資料と原稿を脇に追いやって、グイッとカップを傾けて、フーッフーッと荒い息を吐いて、虚ろな目で、原稿の続きを書くことにしよう。そういう画面は、作家本人は生死の境をうろうろしているような状態でひとたまりもなかろうが、何も知らない凡人からすればエモーショナルに映るのだ。あなたは今世界一珈琲の似合う人間だ。だいじょうぶ。珈琲がある。だいじょうぶ。あなたはだいじょうぶだしわたしもだいじょうぶ。珈琲があるから。

ただ、バイト先で従業員が自由に飲める珈琲がクソほど不味いので、この世に救いはない。

 

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