珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

旅する理性についての覚書|【今週のお題】家で飲む

今週のお題

はてなブログが「あなたが『家で飲む』時のことについてブログに書いてみませんか?』と言っている。私はお酒が好きだが、かといって家で飲む時にルールとかこだわりとか何かあるわけでもなく……そう本当に、本当に何もない。というわけで少し考えて、私は自分が天邪鬼なことを思い出し、「そうですね、ただまあ書く事ないんで他人が『外で飲む』時のことについて書いてみることにします」と返答して、実際その通りにやってみるのである。

 ヴォ゛ア゛ーーー!!

外で飲んで酔っ払って大きな声を出したりなどしている人。そこだけ私の視界からレイヤー非表示にして頂きたい。彼らに対しては、どんなに口汚く罵ることだって出来る自信があるけれども、取り敢えず今は止めておく。夜の通りを歩いていると、「ヴォ゛ア゛ーーー!!」という雄叫びを突然上げる人をあちこちで散見する。ええと、その雄叫びは何?穴久保ピッピか何か?エリート陰キャの私には、何がどうなれば、人が大勢いる通りで「ヴォ゛ア゛ーーー!!」と叫ぶに至るのかがさっぱり検討もつかない。誰か教えて欲しい。街中で「ヴォ゛ア゛ーーー!!」と叫べる人には、叫べる才能があるのだろう。私も想像してみる。他人が大勢いる場所で、「ヴォ゛ア゛ーーー!!」と叫んでみた自分を想像してみる。ウーン、多分死にたくなるだけで終わると思う。

楽しいのはあなただけ

夜勤という関係上、酔っ払いや、飲んでないのになんかやたらテンション高い人たちとは縁を切っても切れない。飲んでないしテンションも高くないのに彼らの百倍ヤバい一部のお客様たちについては今回忘れてしまおう。出来るものなら一生忘れていたいものだ。最初は酔っ払いの来店には戦々恐々としていたものだが、随分と慣れた。目に余る客を入店拒否して追い返すのもお手の物だ。そういう客は、店に入ると同時にトイレに篭って出てこなくなる。中でゲロゲロ吐いて、そのまま寝ている。例外なく。そういう時はトイレのドアをこじ開けて、叩き起して、引きずり出して、帰ってもらう。月2くらいでゲロの始末をしている。私が。そのへんの床で寝ている客もいる。だから最初から追い返している。しかし相手はどうにも気分が良くて仕方がないためか、入店を断られても案外ヘラヘラして素直に帰ってくれる。一度は入店してトイレに篭っていた客も同様、すんなり帰ってくれる。これからまた何処かへ行くのだろうか。私はこれから、あなたが上の口から排泄したウンコを片付けなければいけないのに。

酒は呑んでもなんとやら

良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。

デカルト方法序説

 デカルトの言っている良識が、「店のトイレで吐き散らかして片付けもしない状態で帰らない」とか「店の床で寝ない」とか「他の客の席で寝ない」とか「席で突然叫び出したりしない」とか「飲み物をぶちまけて店内の電化製品を故障させない」とか、そういうちっぽけな類では無いことは分かっているが、実際にそういった状況に遭遇すると、あの世からデカルトを引っ張ってきて、「良識とは!良識とは!」と襟元掴んでぶんぶん揺すりたい気持ちになる。日の明るいうち、それも仕事中に、取引先の会社でキャッキャ暴れた挙句トイレでゲロ吐いてそのまま寝る人間はいるまい。そういう人間が、他者の管理所有する建物でキャッキャ暴れた挙句トイレでゲロ吐いてそのまま寝るようになるのが、酒の力。「この世でもっとも公平に分け与えられた良識というもの」を人の中から追い出してしまうのが、酒の力。私はお酒が好きだが、そういう点では本当クソ喰らえだと思う。

理性は旅をする

ただ――ウーン、もう少しだけ冷静に考えてみる。 「あの人には良識がない」とか「理性の少ない人間」とか言うけれど、良識や理性は消えてしまったのではなく、どこか気まぐれな旅に出ているだけ。だってそれらは天から与えられたものなのだから、そう簡単に消滅はしないだろう。そう思わなきゃやってられない。今は支離滅裂なことを言って暴れているサラリーマンでも翌日には真面目な顔で商談に望むことが出来るのは、そのためである。世界には帰る当てのない大勢の理性たちがあちこちを渡り歩いている。彼らが旅に出るきっかけは何も酒だけではない。「まあまあたまには旅でもしてこいよ」と理性をやや強引に追い出す手段が酒というだけであって、生まれてから死ぬまでの間の、ありとあらゆる出来事によって、理性は旅に出たり戻ってきたりする。理性が傷つきすぎると、もうその人の元へは戻ってこなくなる。戻ってこないけれど、多分世界のどこかにいる。

私も人間を辞めて、単なる理性になりたいなあ。理性になればきっと、世界中どこへでも行けて、ピラミッドも見れるし、アンコール・ワットも見れるし、アユタヤ歴史公園も見れるし、マチュピチュ遺跡も見れる。それで、時々帰ってきては、「もう呑みすぎるなよ」と保持者を小突く。あれ、理性の側からすれば酒って案外良いモノなのかも。ああでももし私(理性)の保持者がめちゃくちゃ理性(私)の強い人物だったら、私(理性)はその人の元から一生離れられずに生涯を終えるのだ。それはそれで……いいのかな?

理性という猫

今のところ私は理性ではないので、人間として労働をする。出勤途中の夜の街、手放された理性たちはひっそりと細い路地を行く。猫のように。いつの間にかふらりと居なくなって、それで翌朝ふらりと帰ってくる。当てもなく、ふらふらと、店の横に積まれたゴミ袋の横を縫うように歩く。割れた瓶の破片で怪我をする。おお可哀想に。おいで理性。にゃーん。もし時間があるならば、夜の街でまたたびを持って、猫釣り、いや、理性釣りをやってみたい。主人から離れた理性が私に集まってくる。よしよし可愛い理性たち。今夜は私と一緒に遊ぼう。でも明日はちゃんとおうちに帰りなさいね。にゃーん。

 

今週のお題「家で飲む」「外で飲む誰か」「叫ぶ人」「手放された理性」「にゃーん」

 

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