珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

明日の自分に恨まれる覚書|自分を恨まず恨まれずして生きる方法があるのなら教えてくれ

9月の楽天スーパーSALEで買ったコーヒーがうますぎてやばい

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これは人を頻尿にするコーヒー

 

どこでもトイレ~

これからの季節、ホットコーヒーが美味しくなるいい時期でもあるのだが、同時にコーヒー飲み過ぎてお手洗いが近くなるのがしんどい時期でもある。体感、コーヒー1杯で1日のトイレの回数が1.5回増えるかんじ。2杯飲むとトイレの回数が3回増える気がする。やばい。私のために5mおきにトイレを設置して欲しい。メインのバイトはわりかしトイレ行き放題な環境なのをいいことに、90分に1回くらいはトイレに行っている。一体どこからこんな水分が出てくるんだ。あったかいコーヒー、いっぱい飲みたいのに。安くて、手軽で、体も温まって、カロリーゼロ。こんなにいいものもない。トイレが近くなることを除けば。人間に都合のいいパーフェクトなものってそんな身近にはないものだなあ。

 

とりあえずコーヒー200杯分くらいは生きようと思った

ここにおいしいコーヒーの粉がたくさんある。2kg買ったので、1杯10gで考えると、200杯分ある。なるほど、これを注文した時の私は、200杯分のコーヒーをいとも容易く消費できると信じて買ったのであるな。200杯分のコーヒーを消費するのに、なんの障害もないと信じて買ったのであるな。200杯分のコーヒーを消費する頃に、私は当然のごとく生存していると信じて買ったのであるな。これを消費しきれるという根拠のない自信は、一体どこから湧いてくるのだろう。auPAYが高還元キャンペーンをやっていたときに、よく行く安いドラッグストアも対象だったってんで、日用品を大量にまとめ買いしたことは記憶に新しい。記憶に新しいが、それも既に今年の2月の話である。

shirokuro-044.hatenablog.jp

このときに買ったものたち、ボディソープ以外はわりと減ったけど、ボディソープだけアホみたいに余っている

 

この世に残せるものがなにもないのならせめてガラクタくらいは置いていこう

仮になにかをまとめ買いして、それを使い切る前に不慮の事故かなにかで死んだとしても、買ったモノが無駄になるか、手持ちの金が無駄になるかの些細な違いであって、結局なにかが無駄になることには違いないのである。死んでしまえば、もはやそこに口出しする権利もない。ほほーん。私が思いがけないところで死んだら、無駄になるなにかがある。ほほーん。私が、私のために手に入れて、私のために使うはずだったなにか。

 

しょうもな

そんなわけで、近頃よく考えることのひとつに、「ここでまとめ買いすべきか否か」がある。安いな、まとめ買いしておこうかな、いやでも明日死んだら意味がないし……。先程も言ったが、まとめ買いをして明日死んだら確かにまとめ買いをしたものが無駄になるとはいえ、まとめ買いをせずに明日死んだところで結局手持ちの金が無駄になるだけであって、冥土の私が得をするわけでもなし。それどころか、「こんなことになるなら思う存分まとめ買いを楽しんでおけばよかった」と後悔するかもしれない。明日死ぬかもしれない自分に得をさせてやる方法なんて、ないのか。明日死ぬかもしれない自分、どうか許してくれ。私はどう頑張っても、あんたに得をさせてやることができそうにない。

 

明日の自分は今日の敵

私にできることは、せいぜい今の自分に得をさせてやることだけだ。だが今の自分に得をさせることもそれはそれで難しい。いつだって、明日の自分が脳裏をよぎるのだ。明日の自分がこちらを見ている。お前が得をしたせいで、私の取り分がなくなったと言いたげな目でこちらを見ている。明日の自分が恨めしそうにこちらを見ている。明日も生きている自分が恨めしそうにこちらを見ている。明日死ぬかもしれない自分が恨めしそうにこちらを見ている。明日には死んでいる「自分」が、恨めしそうにこちらを見ている。

 

 

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