珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

モーレツ散らかり帝国の逆襲についての覚書|散らかってるのはこの記事の内容なんだよなあ

ていねていねていねいに

最近のブーム。Wikipediaを丁寧に読む。Wikipediaサーフィンがとんでもない時間泥棒なのは皆様もご承知のとおりである。読み進めながら、気になったワードにリンクがついていれば、そこを押す。それで、飛んだ先の記事を読み進めながら、また気になったワードにリンクがついていれば、そこを押す。そんな具合で、1つの記事も読み終わらないうちにあっちこっちと彷徨って、最終的になぜかいつも「この項目には性的な表現や記述が含まれます。免責事項もお読みください。」の注意書きがある記事にたどり着いてしまう。おかしいなあ。私はローマ帝国の記事を漁っていたのではなかったかしら。それなのにどうして肥後ずいきの記事を眺めているのかしら。おかしいなあ。とまあ平素ならこうなるところを、すなわち関連記事をあちこち飛び回り最終的にエッチな記事にたどり着いて満足したいところをどうにか制御して、ひとつひとつの記事を丁寧に読んでいく。ちなみに、Wikipediaの公式アプリはなかなか使い勝手がよく暇つぶしにもってこいなのでお薦め。

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

出世なんてするもんじゃないからな

私は智者になりたいわけではない。せいぜい雑学王、いや雑学大臣、いや雑学大佐、いや雑学隊長、いや雑学部長、いや雑学係長くらいになれれば十分である。それで、雑学係長を目指すのに、Wikipediaというものはうってつけの教材である。あそこに行けば、膨大な雑学が手に入る。ひょっとすると偏った知識や誤った知識も含まれているかもしれないが、私が目指すところは智者ではなく雑学係長なので、大した問題にはならない。おおむね合ってれば、私がよほど影響されやすい人間にでもならない限り、それでオッケー。それになんてったって、タダ!

 

ちくしょうめえええええ

ちなみに今は、なにがどうなってそうなったのか分からないが、例のちょび髭のおじさんに関係する記事をひとつひとつ丁寧に読んでいる。ウーン、私は当初キリスト教の聖人について調べていたのではなかったかしら?私は基本的にパソコンつけっぱなしで外出するので、もし出先で死ぬようなことがあったら、必然私の親類が私の部屋を片付けに来るわけだ。それで、PCを覗き込んだとき、例のちょび髭のおじさんとそれに関する記事がわざわざご丁寧にタブ固定されて表示されているのを見たら、仰天するかもしれないな。早めに読み終えて、キリスト教の聖人についての記事に戻ろう。そうしよう。ちなみにどうしてキリスト教の聖人からちょび髭のおじさんにたどり着いたかと言うと、これは至って簡単です。連想ゲームのお時間ですよ。考えてみてね。

 

インターネットで「最もまとまっているサイト」ってどこだろう

インターネットには色々なものが保存されていて、実際貴重な映像や貴重な写真や貴重な文書なんかが、大して重要ではない書類をそのへんに打ち捨てておくくらいの感覚であちこちに散らかっている。しかしそれらのあちこちに散らかっていたものが、ある日突然綺麗さっぱり片付けられていて呆然とすることだって少なくない。私は、それらが今日も明日も明後日もずっと同じように散らかっていると思っていたのに。親が勝手に自分の部屋に入って勝手に片付けて帰っていくのにぷりぷり憤慨するような気持ちで、怒るんだろう。なに勝手に片付けてるの!頼んでない!ってな具合に。その怒りに何の意味があるというのか。なんの権利があって怒るというのか。散らかっているものをまとめる試みすらやらなかったくせに。モーレツ散らかり帝国たるインターネットにおいて、散らかっているものをまとめている人は、総じて偉大である。

 

エシディシくらい泣いてる

Pixivの大好きな文字書きさんが過去作を一気に消してしまって私のお気に入り作品がすべて見られなくなってしまったの結構ガチで凹んでます。そりゃもう暇さえあれば読んでたから、まだ頭の中に小説の断片がハッキリ残っていて、虚しく表示される「この作品は公開制限により閲覧できません」の文字をぼんやり眺めながら、頭の中に残っている断片を思い浮かべては読みしゃぶっている。メモ帳にその断片を書きつければ、ある程度まではその作品が復元できるのではないかというくらい、自分にこれほど記憶を保持する力があったことに驚かされるくらい、覚えている。けれどもこれだって、いつか忘れてしまうんだろうなあ。台詞を忘れて、地の文を忘れて、タイトルを忘れて、ストーリーを忘れて、しまいには存在も忘れてしまうんだろう。

 

あの世でもちゃんとはてなブログやPixivにログインできるように私の墓石にログインIDとパスワードを彫りつけておいてほしい

インターネットにあるものは、残りやすいというだけで、必ず残るものではない。片付けられる権利がある。いなくなる権利がある。忘れられる権利がそこにある。個々人がそこでいくら忘れたくない権利を主張しても、忘れられる権利の前ではほぼほぼ無力である。ハーア、忘れたくないなあ。来年の手帳を買ったら、まず自由ページに書き付けておこうかな。インターネットにはこんな素敵な小説があったんですよって。作者からすれば迷惑極まりないだろうけど。だいたいねえ、本当にその小説を片付けて欲しくないと思っていたならば、日頃から定期的に応援コメントをするとか、片付けないで欲しい旨をコメントの中にさりげなく織り交ぜておくとか、そういった交流を持った上で再公開の予定はありませんかと打診したりとか、いっそのことこっそりテキストデータに保存しておくとか、すればよかったんだ。今更なにを言ったって、片付けられた小説は戻ってこない。ハァ。あ、私はこのブログを片付ける予定は現時点では死ぬまでも死んでからもありませんので安心してください。だってほら、死んだあとでこっちの世界でもブログが書けるんですよって言われた時に、「しまった、こっちでもブログが書けるんなら、『珈琲三杯』を片付けずに残しておけばよかった」ってなるの嫌ですし。はてなブログ、10周年おめでとう。長生きしてね。

 

 

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