珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

これが自分のために生きてるなにかについての覚書|要するに自分にとってたいへん心地よくなめらかで都合のいいなにか

生きがい搾取!!!!!!!!!

死ぬほどろくでもなさそう

 

この人また生きがいの話してる

やりがい搾取が「やりがいがあるんだから辛くても頑張れるよね?」なら、生きがい搾取は「生きがいがあるんだから辛くても頑張れるよね?」である。ウン。だからなんだよ。いやしかし、実際のところ、人は生きがいがあるなら辛くても頑張れるものなのだろうか?当方残念ながら生きがいがないのでよく分からないです。生きがいとの出会いがないのでよく分からないです。生きがいがある人がいたら教えてください。あと、生きがいとマッチングできるアプリがあったら教えてください。健全な出会いができるに越したことはないのですが、たとえ不健全な出会いであっても、それはそれでいいです。人となにかが出会う場面は、往々にして不健全を伴うものです。人間自体、そんなに健全な生き物じゃありませんから。

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

クリアアサヒが自分のために生きてる 心ウキウキワクワク

だいいち、辛くても頑張れるものをこそ生きがいと呼ぶのか、それすらも分からない。我々がそれを生きがいという名で呼ぶから、辛くても頑張れるものに変貌するのかもしれない。一般に呼ばれるところの生きがいってのは、風呂上がりに冷やしたビールを飲んで、「ぷはー!このために生きてる!」ってなるアレとはまた違ったなにかなんでしょう。「自分がこのために生きてる」んじゃないとしたら、傲慢にも「これが自分のために生きてる」と胸を張って言えるようななにかなのだろうか。「ぷはー!これが自分のために生きてる!」って台詞、一度でいいから風呂上がりに言ってみたいなあ。この台詞を言うために、地球は丸くできているんじゃあないかしら。世界の中心はいつだって此処にあるんだから。

 

思えば彼らから「私は人のために生きていますよ」という発言を聞いたことがないな

誤解を恐れずに言うと、人はいつもなにかのために生きてばかりで、人のために生きるなにかの存在について考えたり気遣ったりすることはあまりないように思われる。お金のために生きる人はたくさんいるけれど、人のために生きるお金はあんまり見たことがない。むしろ、お金は人を殺したがっているようにさえ見える。正義のために生きる人はたくさんいるけれど、人のために生きる正義はあんまり見たことがない。むしろ、正義は人を、云々。ひょっとしたらひょっとして、人はこの世のあらゆるものに嫌われてるんじゃないでしょうか?ええと、そこな美徳さんや、美徳さんって人のことどう思う?最善さん最善さん、最善さんは人のこと好きですよね?エッそうでもない?あのー理性さん、理性さんって人のこと……はい。アッいいところに!あなたにも聞いておく必要があります!待って!行かないで!無視しないで!話を聞いて!神様ー!神様ー!

 

あなたたちの「末代までの恥」は私で終わらせてやるからご先祖様たちは安心して眠ってくれ

どうしよう。記事に書き付けてみたことで、人はわりかし多方面から好かれてるでしょという漠然とした自信を完全に喪失してしまった。それどころかむしろ、今までその自信を一体どこから捻出していたのかと疑問に思うほどだ。先ほど挙げたお金さんや正義さんや美徳さんや最善さんや理性さんや神様さんが本当に人のことを嫌っているかは一応本人に訊いてみないことには確証が取れないが、一方で賢明さんと秩序さんは尋ねるまでもなく絶対絶対ぜーったい人のこと嫌いですよね。なんかね、もうね、人は類が滅びるその日まで決して賢明にはなれないし、決して秩序は獲得し得ないっていう確信がありますよ。ウン。もし間違ってたら私の子孫を煮るなり焼くなりしてもらって構わないですよ。あっ私が末代でした。

 

語彙力さんもきっと私のこと嫌い

生きがいの話をしていたはずなのに、生きがいの話がどこかに行ってしまった。まあいいか。どうせ生きがいさんも人のこと嫌いなんでしょう。ところで頭が痛い。ヤバいくらい痛い。どのくらい痛いかというとマジでヤバいくらい痛い。ウーンウーン。本当に頭痛さんは私のこと好きねえ。

 

 

f:id:shirokuro_044:20211105202047p:plain