珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

大人の学びのあれやこれについての覚書|漢字が書けない僕らの強がりをひとつ聞いてくれ

書けない漢字をカタカナで誤魔化すと少しカッコイイ感じになるのがいけない

大人になってから画数の多い漢字や形が複雑な漢字を覚えるのめっっっっちゃ難しくないですか?思い当たる理由のひとつに、まず手書きの機会が少ない。仕事だともっぱらパソコンを使うから、いくら画数の多い漢字であろうと一発で変換される。第二に、漢字を覚えることを強制される機会が少ない。テスト勉強がないから。すすんで漢検の勉強でもやらない限り、わざわざ覚えなくともよい。覚えなくともよいというところがよくない。その都度PCなりスマホなりで入力して変換してそれを見ながら書けば事足りるし。第三に、これがいちばん深刻なのだが、単純に覚えられない。同じ漢字をなんべんか検索して書き写しているうちに覚えるだろうと思っていたが、マジで覚えられない。範疇の「疇」とか、憂鬱の「鬱」とか、疲労困憊の「憊」とか、日記にそこそこ書くはずなのだが、なんべんやっても書けるようにならなくて、ぐちゃぐちゃーで誤魔化したり、カタカナで誤魔化したりする。

 

勉強の仕方っていつどこで教わったんでしたっけ

機会の「機」という漢字を覚えたとき、私は一体どのようにやったのだろう。魔法の「魔」という漢字を覚えたとき、私は一体どのようにやったのだろう。優勝の「優」「勝」という字を覚えたとき、私は一体どのようにやったのだろう。今挙げた漢字はほとんどの人が読むのも書くのも容易にやってのけると思うが、よくよく見ると大概ヘンな形をしているし、まあそこそこ画数も多い。はて、一体どのようにやったのだろう。てんで思い出せない。勉強の仕方を思い出せないってなかなかキッツいなあ。数学の公式も一体どうやって覚えたのだろう。まず暗記して、それから問題を解いた?それとも易しい問題から始めつつ、自然覚えていった?それともなんかこう、もうちょっと回りくどい別の方法で?ウーン。どうやら私は勉強の仕方から勉強し直さないといけないらしい。

 

ところでみんなビャンビャン麺のビャンって書ける?

macaro-ni.jp

きが くるっとる

 

睡魔って何と戦ってもだいたい引き分け以上にしかならないのズルい

難しい本を読むのは好きだが、かといっていつもウキウキワクワクで読んでいるわけではない。げんなりしたり、うんざりしたり、肩をすくめたり、天を仰いだり、船を漕いだり、そんな感じで読んでいる。ああ、クッソ疲れる。難しい本クッソ疲れる。まだ3ページしか読んでないけどもうやめたい。眠いし。やめよう。寝よう。……いややっぱりあとちょっとだけ読もう。ウン。読もう。よし。あー、ああ、あっあっあ………あ~~~~~~~もう疲れる~~~~もうやめる~~~~寝る~~~~いやでもキリのいいとこまで……って感じで読んでいる。この人難しい本が好きなのか嫌いなのかハッキリしませんね。難しい本は読みたいけど読みたくないけどやっぱり読みたいみたいなところがある。辛いものみたいな魅力がある。それと同じ具合で、勉強もしたいけどしたくないけどやっぱりしたいみたいなところがある。加減も遠慮も容赦もない鬼のような先生がいる近所の整体院になんとなく通い続けるみたいな魅力がある。

 

私はいつもなぜどうしていったいなんのために

勉強したくないけど勉強したいこの気持ち。身体は勉強したくないけど頭は勉強したいこの気持ち。意思は勉強したくないけど意志は勉強したいこの気持ち。「ああ、こんなときに誰かが『勉強しなさい』と一言叱ってくれたならなあ」というこの気持ち。勉強する理由と目的を自分ではない誰かからたっぷり与えられたいというこの気持ち。勉強する理由と目的って、解釈を広げていけば生きる明確な理由と目的みたいなモンでしょ。人は(少なくとも現世的には)死ぬために勉強するんじゃなくて、生きるために勉強するんだから。勉強は大事ってのは生きるのは大事ってことだし、勉強頑張ってるねってのは生きるの頑張ってるねってことだし、勉強していいってことは生きていいってことだし、勉強しなさいってのは生きなさいってことだし、そう解釈してもいいでしょ。そんで、それを他人から与えられるのは、それを自分で自分に与えるよりも、ずっとずっと心強いでしょ。おっかなくもあるけど。だから私は大人になった今だからこそ敢えて声をクソデカにして言うが、「勉強しなさい」と叱られたいのだ。今は誰も叱ってくれる人がいないからねえ。

 

 

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