珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

お金で買えない徳がある覚書|買える徳はマスターカードで

キーッ!

『サルにもわかる!徳の積み方』みたいな本ないですか?ない?そう。私が一体何を考えているのか私にもサッパリ分からんが、あのね、徳を積み増すよりまず咎を清算しろってそれ大昔から言われてたり言われてなかったりするから。しかし咎を完璧に清算し切ってから徳を積み増している人間なんて見たことないぞ。実際、咎を清算するより新規に徳を積み増す方がどう見ても簡単である。過去の行いをひとつ消すのと未来の行いをひとつ作るのと、どちらが易しいか考えてみればよい。昨日道端に空き缶をポイ捨てしたことについて大いに悔い改め神から赦しが出るまでひたすら教会でお祈りするよりも、反省はそこそこにして今日道端にポイ捨てされている空き缶をいくつか拾いそれで 許された気分に浸る・・・・・・・・・ 方がよっぽどお手軽である。

 

(骨が折れる音)

我々は全ての人間の全ての行いを全て把握出来るわけではないので、昨日道端に空き缶を100本捨てた人間が今日道端の空き缶を1本”このあと灰皿にするつもりで”拾っている姿をたまたま目撃し、「あの人はなんて素晴らしい人なんだ」と褒めたりもする。その一方、昨日道端の空き缶を100本拾った人間が今日は家に篭もってゲームしながら過ごしている姿をたまたま目撃し、「そんなことをしている暇があったら空き缶の1本でも拾いに行ったらどうだ」と難じたりもする。自分で自分の頭のてっぺんと足の裏と腹と背と左肘と右肘を一つの面で見ることが叶わないのと同じように、他人の頭のてっぺんと足の裏と腹と背と左肘と右肘を一つの面で見ることもそう容易いことではないのだ。どうしてもそれらを一つの面で見たいのであれば、相手の体にチョイと失礼をして、頭のてっぺんと足の裏と腹と背中と左肘と右肘が同じ面に来るよう全身をぐにゃぐにゃ捻じくり回すほかない。あなたの手腕と、相手の柔軟性ならびに耐久力が問われる。

 

人間臭

新しい荷物を運び入れるときは、まず古い荷物を全て運び出す。そんでなるべくなら床とか壁とか窓をピカピカにして、空気も入れ替えて、まっさらで美しい状態にしてから新しい荷物を置く。グヘヘ。これが気持ちええんじゃ。一旦全てを取り除いてから何もないまっさらで清潔な地に1から積み上げるのは気持ちええんじゃ。人間もそうじゃろう。何?そうじゃない?人間は一旦全てを取り除かれた時点で死んでしまう?そう。そりゃ難儀じゃな。じゃあ、人間は古い荷物とか、垢まみれの床、くすんだ壁、濁り切った窓、黴臭さと脂臭さの入り混じった空気、 人汚れ・・・ に汚れたあの部屋の中に新しい荷物を置くのか。ほーん。まあ、確かにな。落ちないもんな、あれ。

 

原罪わんこそば

悪いものを全て取り除いてから徳を積み上げるには、人の寿命は短すぎる。取り除こうと試みている最中にも、悪いものがまた積み上がって、積み上がって、積み上がって、あたかも掃除していた筈なのに始める前より汚くなっているような具合になる。もしくは片付けの途中で力尽きて始める前より散らかっているような具合になる。私はしょっちゅうなります。よく「来たときよりも美しく」というフレーズが公園の入口に書いてあったりするが、上記の場合、掃除をしている人間に向かって「掃除する前より美しく」とか、片付けをしている人間に向かって「片付ける前より美しく」とかナントカ言うようなもので、そんなん当たり前ですやんか。なんでそんな当たり前のことが、人から悪いものを取り除くときにはうまく出来ないんでしょうね。

 

本性現したわね

まあそれはそれとして結局のところはお金で取り除ける咎をお金で取り除いたのちにお金で買える徳をお金で買うのが1番手っ取り早くて効率がいい 救いが欲しくば石油を掘ろう

 

 

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