珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

なんにもない日と手帳術についての覚書|なんかをやってりゃそれでじゅうぶん

メモ魔の魂百まで

自分が興味あること全部が書かれている完璧なノートを作れたらいいのにな。そんなことを考えながら、ビーズの種類、色の名前、おいしいお菓子、漫画やイラストの描き方、お気に入りのポケモンの覚えるわざ、カードゲームのデッキレシピ、あちこちの本や漫画雑誌で見つけたそんな情報を毎日せっせとノートに書き写していた子供が、ノート術手帳術に傾倒する大人に成長するのは必定であった。

文具の中ではノートや手帳がぶっちぎりで好き。ルーズリーフも好き。それらを活用するためのふせんやバインダーの類も好き。ノート術や手帳術の本も、好きだった。そういった本を眺めていると、いざ自分で用意したノートや手帳のまっさらなページを前にしてこれから何か大作を1本書き上げるような気持ちになり、この1冊をなんとしてでも仕上げてやろう、子供の頃にぼんやり夢見ていた「自分が興味あること全部が書かれている完璧なノート」に少しでも近づけてやろう、という気概に満ち溢れていたのであった。

――ある日、何も書く事が無くなるまでは! 

手帳に書くようなことが何も無い

 バイトの日か、そうでない日か。以下1日のスケジュール。出勤。レジに立つ。昼休憩。レジに立つ。小休憩。レジに立つ。退勤。以上1日のスケジュール。これと勤務日数を掛け算する。フリーターになってからずっとそんな具合で、手帳を買うのを止めてしまった。じゃあ代わりに日記でも書くかと思ったが、1日を振り返ったとて腹の立つ客のことを思い出すばかりで何のメリットも無いと気づいてそれも止めた。ただのクレーマー観察日記になってしまう。

それでもノート術、手帳術の本をパラパラと捲っているのは楽し……くなかった。びっくりするくらい全然楽しくなくなった。何故ならそういった本に手帳と共に出演している人たちは例外なくキラキラしていて、バリバリのエリートだったり、キャリアウーマンだったり、クリエイターだったり、作家だったり、勝ち組主婦だったり、自由な老後を満喫していたり、優秀な学生だったり、自分と住んでいる世界が違いすぎて、読んでるうちにだんだん辛くなることに気づいて読まなくなった。

毎日なんにもない人はいったい何を書けばいいのだろう?ぼくのなつやすみのように「きょうはなんにもないすばらしい一日だった」とでも書けばいいのだろうか?私はこんなにノートや手帳を愛しているのに、どうして何も書くことが無いのだろう?食べたものでも書いておけばいいのか?毎日毎日お菓子しか食べてないのに?体重でも記録していればいいのか?毎日毎日増えていくばかりなのに?何を書いても憂鬱になる。こんなのって、あんまりだ。

改めて、手帳に何かを書きたいと思うのだが

そんなことを考えていた日から約2年が経過した。その間に昼勤から夜勤へと変わり収入が増えたことで、気持ちと暮らしは随分安定するようになった。そして、ブログを始めた。徐々に書くことの楽しさを思い出した。ここらでいっちょ、また手帳でも買って色々やってみるか!と考えたけれど、やっぱり書く内容が「バイト」「休み」の二択しか無いことに気づいて眉尻が下がった。新しい手帳を買うには時期もめちゃくちゃ微妙だし、結局買ってない。

毎日なんにもない人に、なんかを毎日書かせる術

そんなわけで今の私は「手帳に書くことがなんにもない人のための手帳術」みたいな本が欲しい。いや探せばあるかもしれないし、そういった記事がライフハックブログにごろごろ転がっているかもしれないが、取り敢えず今は存在しないという前提で語らせて欲しい。

その本の対象は例えばフリーター、無職、無気力系学生、毎日ひたすら同じことばかり繰り返している人。1ヶ月のスケジュールが「以下同」で埋め尽くされるような人。そういう人たちでも手帳にたくさん書き込めるようになる本。もちろん義務感少なめで。なんかがいっぱい書いてある手帳を読み返して、「おっ、最近の自分なんかやってるじゃん」って気持ちになって、少しでも前向きになって、本当にやりたいことを見つけられたらいいなあと思う。

そのためにはよくある手帳術のように、色ペンの使い分けとか、補助ツールの使用とか、囲み線や吹き出しの上手い書き方とか、そういうのはなるだけ無い方がいい。なんなら鼻にペンを突っ込んで書いてもいいくらい、形式や見た目の綺麗さにはこだわらない。白いページをとにかくなんかで埋めて、毎日なんかしてるんだって気分にさせること。意識低めの手帳術とでも呼ぼうか。そういうのを形にする。言うだけタダである。

自己分析や自己反省はさせない方がいい。憂鬱になるに決まっている。夢や希望も書かせない方がいい。もっと憂鬱になるに決まっている。それじゃあ一体何を書いてもらうというのか。うーん、今のところ全然思いつきません。「なんか」です。もしかしたら明日には忘れたフリをして「手帳術?何の話?」とすっとぼけている可能性もあるので、話一厘程度でよろしくお願いしたい。

今だってほら立派にブログを書いている

記事を作っているうちに意図せず「自分なりの手帳術を形にする計画」が生まれた。この計画自体、(手元にありさえしたならば)手帳に書けそう。やったね。たとえ偽物でもいい、滑稽でもいい、「なんだ、自分って意外となんかやってるじゃん」という充足感を創りたい。毎日毎日クソつまらないルーチンワーク以外はなんにもなくて、日に日に大きくなる「自分にはなんにもない」を下手すればあと50年も60年も抱えていかなくちゃいけない絶望感でこれまで何度も何度も泣いたけれど、今この瞬間の私は大丈夫。部屋を片付けようとしたり、本を色々読んでみたり、後回しにしてた諸々の手続きを消化したり、ブログを書き続けたり、意外となんかやってる。少し前の私に言いたい。少し後のお前は意外となんかやってるよ。剥がれたメッキも積み上げれば天に届く。

 

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