珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

言葉のストックを増やす試みについての覚書4|西田幾太郎『善の研究』より~その2~

一体何様なんだと思われることを承知で申し上げるが、第二編「実在」から第三編「善」へ移行し、更に第五章「倫理学の諸説」が始まったあたりから、途端に文章の雰囲気が変わった。

それまでの内容といえば、直感、感覚、直覚、意識、意志……素人目には「一体何が違うんだ」と大声で叫びたくなるような言葉たちのオンパレード。第一編「純粋経験」及び第二編「実在」ではそれらの絶妙な差異を捉えた主張が緻密に構成され、展開されていた。ところが快楽や善に話題を移した途端、急にざっくりし始めた気がする。「他人にいいことをすると自分も気持ちいいから結局自己の快楽でもあるよね」「でも自己の快楽のために他人にいいことしてるわけでもないよね」といった、一般人にも感覚的に理解できるような倫理が顔を覗かせはじめ、前半のちんぷんかんぷんっぷりとの落差に少々驚いている次第である。

気を取り直して、言葉を見ていくことにする。前回分はこちら。

 

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

公理(こうり)

① 一般に広く通用する真理・道理。 「人生の-」

② 〔axiom〕 ㋐ 真なることを証明する必要がないほど自明の事柄であり、それを出発点として他の命題を証明する基本命題。 ㋑ 数学の理論体系で定理を証明する前提として仮定するいくつかの事柄。

三省堂大辞林 第三版』

 「真なることを証明する必要がないほど自明の事柄」って「私がここにある」以外に何があるんだろう。

直覚(ちょっかく)

( 名 ) スル 推理などによらず、直接に感じて知ること。直観的にわかること。

三省堂大辞林 第三版』

「推理などによらず、直接に感じて知ること」が出来ることって「私がここにある」以外に何があるんだろう。

観照(かんしょう)

( 名 ) スル ① 主観を交えず、対象のあるがままの姿を眺めること。冷静な心で対象に向かい、その本質をとらえること。 「人生を-する」 → 観想

② 美学で、美を直観的に受容すること。自然観照と芸術観照とがある。 →静観 ・鑑賞

三省堂大辞林 第三版』

今手元に有るマウスを見て「安っぽい見た目してんなあ」「でもわりと使いやすいんだよね」と思うのが主観で、「大きさは約10cm×5.5cmである」「裏に『光学式マウス M』と書かれている」「中国製である」と認識するのが客観……であった頃に是非とも立ち戻りたい。国語のテストでA~Eの文章を主観的なものと客観的なものに分類していた頃に戻りたい。西田は本書の中で「客観的世界とて主観を離れて成立するものではない」と云い、自然現象でさえ簡単には我々の直覚を離れ得ぬ、主客同一のものであると云う。主観的な要素を一切合切抜き去ったものが「自然の本体」となるわけだが……それでは「自然の本体」とは一体どこにあるのか。誰も見たことがないけれどどこかにある「自然の本体」。ド素人がこれ以上見えないものを見ようとするのはやめよう。

因果律(いんがりつ)

ある事象A(原因)に引き続いて他の事象B(結果)が必然的・規則的に生ずるとき,AとBには因果関係があるといい,これを原理として立てるときこの法則を〈因果律〉とか〈因果〉という。ヒュームは因果律を〈恒常的連接〉であるとし,カントは経験を可能にする主観の先天的形式(カテゴリー)の一つと考えた。これに対し唯物論者は,ふつう因果律は主観と独立に客観的に成立していると考える。ニュートンの運動法則とマクスウェルの電磁気学,すなわち古典物理学では因果律が前提され,因果的決定論が成立するが,量子力学では不成立が明らかになっている。

平凡社『世界大百科事典 第2版』

 好物のかりんとうを食べると太るのは仕方ないんですよね

嚠喨/瀏亮(りゅうりょう)

トタル ) [文] 形動タリ  楽器の音などの澄んでよく聞こえるさま。 「 -と響くらっぱの音」 「音楽の声耳を澄まして-たり/花間鶯 鉄腸」

三省堂大辞林 第三版』

 三国志の登場人物かと思った。

帰納法(きのうほう)

類似の事例をもとにして、一般的法則や原理を導き出す推論法のこと。演繹法の対義語で、帰納的推論ともよばれる。 例えば、次のような推論が帰納法に当てはまる。

(a)このカラスは黒い(事例1)

(b)そのカラスも黒い(事例2)

(c)あのカラスも黒い(事例3)

(d)ゆえに、カラスは黒い(法則)

ここでは3つの事例(a)(b)(c)について言えることを一般化して(d)の法則を導き出している。ただし、この法則はありうる事例をすべて調べて導き出したものではないため、例えば「白いカラス」といった、法則の例外が出てくる可能性は十分にある。それゆえ、帰納法で得られる法則は必ず正しいというものではなく、ある程度確かであるというに留まる。

ナビゲート『ビジネス基本用語集』

 私が私であることを3つ集めたら私が私であることは法則になるのかなあ。法則で決まっていたら私も私をやりやすかろう。カラスが黒いことをやりやすいように。

神韻縹渺(しんいんひょうびょう)

[ト・タル][文][形動タリ]芸術作品などに、きわめてすぐれた趣が感じられるさま。「神韻縹渺たる名文」

小学館デジタル大辞泉

 読めない(激怒)

 那辺(なへん)

( 代 ) 〔「那」は中国語の疑問詞または遠称代名詞〕 不定称の指示代名詞。多く、抽象的な場所や不明の位置などを指し示すのに用いる。どのあたり。どこ。 「その真意が-にあるか不明だ」 「其主趣が-に存するか殆んど捕へ難いからである/吾輩は猫である 漱石

三省堂大辞林 第三版』

わあ~~~これ頭良さそうに見える

悖る(もとる)

( 動ラ五[四] ) ① 物事の筋道にあわない。道理にそむく。反する。 「人の道に-・る行為」

② ゆがむ。ねじれる。また、ゆがませる。ねじる。 「毛野の臣人為ひととなり-・り很いすかしくして/日本書紀 継体訓」

三省堂大辞林 第三版』

 見慣れない漢字だなあと思い少し調べてみたら、つくりの「孛」はそれ単体だと訓読みで「ほうきぼし」と読むらしい。めっちゃ素敵やん。それで読みそのままの「箒星」という意味の他に、何故か「むっとする。急に顔色が変わる。勢いよくおこりたつ。」という意味も持っているそうな。「孛」を要素に含む「勃」がそんな感じだ。「箒星」と「むっとする」にどういった関連があるのだろう。今後「箒星」という単語を目にしたり、実際に夜空で「箒星」を見たりしたら、私は自動的に「むっとする」かもしれない。別に何も怒る原因がなく、もちろん「箒星」に恨みは何一つないのに、今ここで知ってしまったから、連鎖反応で「むっとする」のだ。知識とは残酷だ。

 

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