珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

保守的な自分についての覚書|「耐えなくていい」というハンコも欲しい

限界フリーターは身体が資本 

先日、夜勤を終えて徒歩で帰宅中に、両足首と両膝が突然ズキズキと激しく痛み始めた。一体何度途中でタクシーを拾ってやろうかと考えたか分からない。しかし何とか歯を食いしばって自宅までたどり着いた。両足首をさすりながら考える。もしこのまま明日も明後日も両足が痛いままならば、私は一体どうすれば良いのだろう。これまで労働による精神的負荷のことばかり考えて、肉体的負荷のことなんて何一つ考えてこなかった。退勤ボタンは全てを救うと信じていたのに、退勤後の足の面倒までは見てくれなかった。労働中の激しいストレスも結局は喉元過ぎればなんとやらだが、足が痛いのばかりはどうにもならない。足は喉を通らないし。

結局、湿布を貼って寝たら一昼で治った。

思いのほか自分が頑丈だったという話

近頃よく考えるのが、「なんやかんやで私はこのまま今の生活に耐えられてしまうのではないか?」ということ。1日で最も憂鬱なのは出勤中で、毎日毎日このまま道端で大暴れしたり眠り込んだり大の字になったり近くを流れる川にドボンと飛び込んでやろうかと思うのだが、なんやかんやで出勤してるし、なんやかんやで労働してるし、退勤後は「いやあなんやかんやで今日の労働も終わってしまったなあ」なんて思いながら呑気に帰宅している。

耐えられるならそれでいいじゃないかと自分に言い聞かせつつも、一方で「えっこの先ずっと耐えられてしまうおつもりなんですか?」と信じられないものを見るような目で自分を見ている。ドーマ編の闇遊戯ばりに見るなそんな目で俺を見るな状態である。耐えられ”てしまう”とか言ってるし。労働は孤独な習慣である。自分が勝手に始めた自分ひとりのラジオ体操で、自分が作ったスタンプカードに、自分が作ったスタンプを自分で押して、それで……いつか誰かが「よくできました」のはなまるハンコをポンと打ってくれるのを期待している。とはいえ結局はなまるのハンコを打つのも自分だし、最近では自分ですらなかなか打ってくれないものだから、自分に対してスタンプカードにハンコを打つよう強く請求しては日々棄却されている。そのへんの野良猫を捕まえて肉球でポンと押印して頂く方がよっぽど早い気がする。

同様に、自分は自分が提出した新しい人生プロジェクトの計画書にもなかなかハンコを押してくれない。その一方で「現状維持」という印を押す時だけは異様に仕事が早い。「現状維持」印の予備は東京ドーム3個分に溢れかえるほどストックされているし、朱肉も東京タワーの大きさくらいある。だから東京タワーは赤いんですね。あれ実は私の朱肉なんですよ。新宿EDの話はやめよう。そしてそれらを押すためだけの腕が8本ある。腕の予備も8の8乗ある。あと60年70年毎日毎時間毎分毎秒「現状維持」印を押し続けても十分足りるほどの量が私の中にはある。なんなら小腹が空いた時にムシャムシャ食べてもいいくらいだ。

変化を起こすなら今のうちとは思いつつ

現状維持が良いことだと思っているのは本人だけで、渋々変化を起こしてみたらそちらの方が圧倒的に良かった、なんてキレイな話が本当にあるのだろうか?やってみなけりゃ分からない。うまくいく保証はない。賭けに対する保険は自分で自分に付けるしかないのだ。バンジーの命綱は別料金になります。そして保険料を積み立てているうちに変化をしたくても出来ない身体になってしまう。そんな身体になるまで、私は耐えられてしまうのか?動けるうちにはなまるハンコが欲しいし、新規プランに対する承認ハンコも欲しい。本当はどちらも他人に押してもらいたい。

我(々)のように変わらない人間がいるから、相対的に変わる人間がいる。進まない人間がいるから、相対的に進む人間がいる。今私が動き出さないのにも理由があって意味がある。そう都合よく自分を納得させておくしかない。地球上に前進し続ける人間ばかりだったら、歩み続ける75億人の足の裏で研磨された地球は今頃ピカピカのトゥルトゥルになっていることだろう。ツルツルの陸地は歩きづらいし、これ以上地球の表面を磨り減らすのも可哀想だから、私はしばらくここで立ち止まって、足元にあるデコボコの大地を愛でることにする。

今日もハンコを押し続ける

そうこうしているうちにまた自分から提案書が上がってきたようだ。「これ最初の足が痛いくだり全く要らなくないですか?削除してから公開するべきです」。なるほど確かにね。まあそうかもしれないけどまあ別に残しといてもいいでしょ。提案は却下。ポン。

 

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