珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

凡人の凡人による凡人のための覚書|才能って重たそう

アレな人はもしかしたらアレな人かもしれない

アレな客に出くわした際には、「ウーン、もしかしたら天才の人なのかも」と思うことでその場をやり過ごしている。天才と奇人変人は紙一重と云う。目の前にいるアレな客は実は天才芸術家かもしれないし、天才音楽家かもしれないし、天才小説家かもしれない。IQに差が有りすぎると会話が成立しないとか意思疎通が難しいという話もよく聞く。もしかしたら相手は物凄く頭のいい人なのかもしれない。「アレな感じの天才がそう身近にいてたまるか」と思ったら、大学時代の教授で1番アレな人を思い出して欲しい。そういうことである。

「天才」の類義語について調べてみた

とはいうものの、限りなく害の無い天才と、危険表示テープでぐるぐる巻きにしておきたいタイプの天才を一緒くたに「天才」と呼んでしまうのは些か気が引ける。何か適当な言葉は無いだろうか。こんな時のweblio類語辞典以下引用部は全て三省堂大辞林 第三版』より。

きさい【奇才】

世に珍しいすぐれた才気、才能。また、その才能をもつ人。 「天下の-」

それらしいのだが、もう少し危険な香りが欲しい。

きさい【鬼才】

人間のものとは思われぬほどのすぐれた才能。また、その才能をもつ人。 〔同音語の「奇才」は世にも珍しいすぐれた才能のことであるが、それに対して「鬼才」は人間とは思われないほどのすぐれた才能をいう〕

鬼っていうよりもぬりかべとか一反木綿みたいな感じを求めてるんですよね

にゅうしん【入神】

技能が上達し、人間わざと思えないような、すぐれた域に達すること。 「 -の技ぎ」 「術は屈せざる練磨に由りて上達-す/欺かざるの記 独歩」

 神になった。

これは人に対してというより技能に対しての評価なので私の欲する所とは少し違うかも。

アインシュタイン【Albert Einstein】

(1879~1955) ドイツ生まれの理論物理学者。1905年、特殊相対性理論・光量子論ブラウン運動の分子運動理論を発表。いずれもその後の物理学に大きな影響を与えた。16年、一般相対性理論を完成、それに基づく重力理論・宇宙論を展開。20年以降、重力と電磁気力との統一場理論の建設に努力。量子力学形成の過程においても、光量子論のほか、固体の比熱理論、量子統計法などの業績を残した。33年、ナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命。熱烈な平和主義者としても知られる。

……個人名ですよね?

以下、weblio類語辞典で「天才」の類語を調べると本当に「アルバート・アインシュタイン」が出てくるという証拠のスクショ。

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これはむしろ「変人」の類語で検索した方がいい気がしてきた。私がここで言っている人物とはつまり、「天才であることに間違いはないのだがそれ以上に素行や言動がアレすぎて第一印象も第二第三の印象にも『ウワッ!ヤベエ奴だ!』以外の感想が思い浮かばないようなデンジャラスパーソン」……危才(きさい)とかでいいですかね。

上には上の上の上の上の上の上がいる

話は変わるが、インターネットは「自分が普通ではないこと」を他人に知らしめるのに最適な場所であり、また同時に「自分が普通でしかないこと」を自覚させられ打ちのめされるのに最適な場所である。その他大勢とは違う異質な存在でありたいと願うことは何一つ異質なことではない。ごくごく健康的な欲求である。身ひとつ勝負の現実とは違って、自分の最も面白い部分だけ切り取ってリングに上がればよいのだから、勝算は現実よりあるかもしれない。最大の問題は、対戦相手もまた自分の最も面白い部分を切り取って登壇してくるということである。自分の最も面白い部分が最も面白い人が勝利である。自分の最も面白い部分の敗北は、自分全体の敗北以上の敗北を意味する。惨い話だ。

人はみな全体であり、一部である

自分は「天才」にこそ遠く及ばないが、も、もしかしたら、こう、「非凡」な人間といっても、か、過言ではなかったりして?誰しも1度くらいは、このような気持ちを抱いたことがあるのではなかろうか。

試しに街中に出て人の往来を眺めてみよう。なんとまあ……なんとまあ平凡な群衆であることか。平凡が服を着て靴を履いてバッグを持って歩いている。平凡が喋っている。平凡が動いたり止まったりしている。全員同じ服に見える。全員同じ顔に見える。全員同じ声に聞こえる。すごい。今なら全員に勝てそう。大勢の平凡を前にして、自分という特別が内側から殻を破って彼らに飛びかかろうとしている。ステイ。このような街中で騒ぎを起こすわけにはいかない。あなたは黙っている。黙って平凡の往来を見ている。黙って平凡な群衆に紛れている。特別なあなたは平凡な群衆の1人である。

「自分」という意識だけが日に日に尖っていく

時々、周囲の人間がありふれた日常を過ごしている中でただ自分だけが鋭敏な感覚を持って生きているような、そんな錯覚に陥る。自分だけが特殊な受容器官を持っているのではないか。イライラもムカムカもピリピリもドキドキも全て自分だけの特殊な感覚なのではないか。人付き合いが嫌いなのも恋愛が出来ないのもタピオカミルクティーに興味が持てないのも自分だけの異常な感覚なのではないか。自分は人間の内面というものを知っているこの世でただ1人の人間ではないか。自分は哲学の答えに手が届くこの世でただ1人の人間ではないか。自分は世界の裏側に到達しうるこの世でただ1人の人間ではないか。もちろん、錯覚である。

わたしは天才ではない。わたしがこの世で生きているうちにわたし1人が哲学の真理にたどり着いたり世界の裏側に到達するようなことはまず無いと思っていい。天才ではないわたしがこの世で掴めることといえばせいぜい、わたしがこの世でただ1人の人間であるということくらい。これはもちろん、錯覚ではない。

 

 

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