言葉のストックを増やす試みについての覚書6|聖アウグスティヌス『告白(上)』より~その2~
前回の記事はこちら。
軛(くびき)
① 車の轅ながえの先端につけて、車を引く牛馬の頸の後ろにかける横木。 → 牛車ぎつしや
② (比喩的に)自由を束縛するもの。 「国家の-から脱する」
Cgoodwin [CC BY-SA 4.0], ウィキメディア・コモンズ経由で
世界史で登場する重要ワード「タタールのくびき」、その「くびき」である。Wikipediaによれば13世紀前半に始まったモンゴルのルーシ侵攻とモンゴル人によるルーシ(現在のロシア・ウクライナ・ベラルーシ)の支配を指す、とある。妙に語感が良いため単語そのものは記憶に残っていたのだが、ロシアとか、モンゴルとか……なんかその辺りはさっぱりなんだ。我々は皆、社会のくびき。とはいえこのくびきが無ければ、きっと宇宙に放り出されたような気分になって、結局また、心地よい拘束具を求めてうろうろしてしまうんだろう。「自分だけが自由」なのは、「自分だけが不自由」なのと大して変わりない。
衷心(ちゅうしん)
心の奥底。まごころ。 「 -より御多幸をお祈り申し上げます」 「 -から哀悼の意を表します」
「和洋折衷」の「衷」。「衷」は訓読みで「うち」「こころ」「まこと」と読む。「和洋折衷」ばかりが有名だが、折衷シリーズは和洋の他に「雅俗折衷」「斟酌折衷」がある。なんかもう作ったもの勝ちな気がするので気が向いたら適当に作ってみよう。
滔々と(とうとうと)
(トタル ) [文] 形動タリ ① 水が勢いよく、また豊かに流れるさま。 「 -と流れる大河」
② よどみなく話すさま。弁舌さわやかなさま。 「 -とまくし立てる」 「 -と雄弁を揮ふるつて/片恋 四迷」
③ 物事がある方向によどみなく流れゆくさま。 「 -たる時代の流れ」
「弁舌さわやか」ってめちゃくちゃいい響きですね。
香柏(こうはく)
植物。ヒノキ科の常緑針葉高木,園芸植物。ヒノキの別称。
日外アソシエーツ『動植物名よみかた辞典 普及版』
うーん、雅。
訥弁(とつべん)
つかえたりして、なめらかでないへたなしゃべり方。 ⇔ 能弁 「 -だが真情のこもった話」
私のことかな?
台本も無しにスラスラと言いたいことが口から出てくる人の脳って一体どうなっているのだろう。担任教師による長話も学生時代は煩わしいばかりであったが、今考えるとよくもまあ、あのようにスラスラ言葉が出てくるものだと感心する他ない。本当にどうやって言葉を出してるんですか?こちとら1対1の日常会話ですら難儀しているというのに。今だから言えるが、若いうちから人前に立って自分の意見を述べる練習はしておくべきだ。マジで。そういう機会は金を出してでも買うべきだ。対面や肉声を用いないコミュニケーション手段が増えたこの時代だからこそ、人前で弁論する訓練に身を投じる者は、必ずや報われるであろう。
ちなみに私は今のバイトを始めてから、それまでの数倍は言葉がパッパと出るようになったと思う。要件を的確に短文で伝えることも含め。従業員同士の連携が超重要なので、始めた当初は四六時中人にお願いしたりお願いされたりするストレスで禿げそうになったが、慣れてしまえばこちらのものだ。自分でやれるところは相手のためにやる、相手に任せられそうなところは自分のために任せる。信頼とコミュニケーションの必要性に押しつぶされて死にそうになりながら、それでもなんとか生きられている。あとこれは予想外な副産物なのだが、めちゃくちゃ気が強くなった。ズバズバ言うようになった。人間変わるものである。
燦然(さんぜん)
「さめざめ」を使い潰したら使います。
『告白』上巻は、アウグスティヌスの人生録であると同時に、彼の母モニカの人生録でもある。アウグスティヌスの奔放な若年時代と、やがて彼がキリスト者として目覚めていく過程は、彼の母の逞しい忍耐と格別の慈愛無くして語れぬであろう。あの強き母無くしては、アウグスティヌスが聖人と称されることは無かったであろう。アウグスティヌスの告白、引いてはこの書物、その全ては、母モニカのためにある。上巻のラストは、母への祈りで締めくくられている。
このようにして、わたしの母がいまわのきわに、わたしに願い求めたものが、ただわたし一人の祈りによるよりも、多くの人びとがわたしの告白を読んで祈りをささげることによって、もっと豊かに母のために与えてください。
祈りは聞き入れられた。