珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

自分を手放す行為もしくはヤケクソな生き方についての覚書|自意識という病

「生きやすい」という不思議な心地

おお……人ってこんなに生きやすくていいのか。そう思えるくらいここ最近急に生きやすくなった。落ち込んでないし、怒ってないし、責めてないし、疲れてないし、悩んでない。気分がとてもサッパリしていて、口は軽やかで、脳内はとてもクリアだ。もしかするとほんの一時的な、あんまり考えたくないがいわゆる躁状態的なアレかもしれないが、幸いにも気分が良い理由が判明しているので、またオチそうになったときの救済策としてここに記しておく次第である。

自分に焦点を当てないこと

脳内がクリア、と書いたがつまりそれは思考が絡まっていないということだ。考えることが減ったということだ。とはいえ仕事中は仕事のことをめちゃくちゃ考えているし、ブログのネタについても日々めちゃくちゃ考えているし、先日から突然閉まらなくなった冷蔵庫のドアについても頭を抱えながらめちゃくちゃ考えている。誰か助けてください。

では何を考えることが減ったのか。単純に、自分自身について考えることが減ったのである。意図して減らしたわけではなく、ある日突然フッと減った。不思議な感覚だ。もしかしたら無意識のうちにヤケになったのかもしれない。それでも気分がとても軽い。ヨッコラショと意識して駒を進めなくとも自分の時間は勝手に進んでいくのだから、全自動双六になったつもりでゴールを目指せば良いのではないか。

自分自身について考えすぎないこと。ライフハックっぽく言い換えるなら、自分にフォーカスしないこと。以下、ラクに生きたいのならフォーカスするべきではない点についてぼんやり考えた結果。

 

1.過去の自分の発言や行動にフォーカスしない

過去の自分が何を言って、どういった行動をしたか。そういう記憶が頭の中を延々ループしてしまう人は一定数いるらしい。恥ずかしい、情けない、申し訳ない、みっともない……のような、負の感情の中でも特別タチの悪い「みじめ」というカテゴリーに属するものが自分の中でぎゅうぎゅうのパンパンに膨らんでいくあの感覚は、何度味わっても慣れるものではない。こういった物言いは好きではないのだが、変えられない過去について悩んで負の感情にどっぷり浸っているのはあまりにも生産性がなさすぎる。反省しなくていい部分はしなくていい。反省するエネルギーは、本当に反省する必要がある場面まで取っておこう。

2.自分の価値にフォーカスしない

複数名がいる場で自分に話が回ってきたとしよう。その場にいる全員の視線が自分に集まっている。自分の発言を周りが待っている。その期待(実際は特に何も期待していなくとも)の重さがそのまま自分という意識の重さになり、自分の意識も自分にどんどん集中するという負の連鎖で、自意識は重量を増しどんどん地面にめり込み、目の前が真っ白になって……めり込んだ地点がそのまま自分の墓場になる。

集団の中にいるとフリーズしてしまう人の場合、意識的にしろ無意識的にしろ、「これだけの人数の中で何かを行為する権利が自分にはあるのか?」「これだけの人間に干渉する/されるだけの価値が自分にはあるのか?」という問いかけが常に自分の中を巡っているのだ。「集団」そのものに対してでも「集団の中の他人」に対してでもなく、「集団の中の自分」にばかり目が向いている。大海の中に割り箸を突っ込んでチョチョイとかき回すような、たったそれだけの行為を恐れている。あなたは海面に突っ込まれた1本の割り箸である。混ぜる真似事をしてみたり、刺す真似事をしてみたり、割り箸は割り箸らしいことをすればいい。海はその程度で溢れたりしない。

3.自分の将来にフォーカスしない

明日のことを今思い悩むのはやめよう。聖書にもそう書いてある。未来の景色は誰にも分からないけれど、かといって無機質に塗り潰されたブラックではなく、よーく目を凝らせば何かが見えそうな深いグレーをしている。暗順応と呼ばれるアレに似ている。だから皆どうにかこうにか目を凝らして深いグレーの中から何かを見出そうとしている。とはいえ将来について何も考えずに生きられる人間はそうそういるまい。将来のことを考える行為を手放せる人間はある意味幸福だ。ヤケクソになれる人間はある意味幸福だ(というヤケクソ)。見えぬ将来のことを思い悩まずに生きられるのは、諦めた者の特権だと思う。未来の選択という煩わしい行為を捨ててベルトコンベアのような一本道で生きられるのは、持たざる者の特権だと思う。転がり落ちた人間は強い。

 

 以上、ぼんやりとした分析である。自分にフォーカスしない方法論については……またいつか考えるかもしれないし、考えないかもしれない。

心の声が正しいとは限らない

よく「自分の心の声を聴く」とかいうけれど、正直言ってそんなん素人が滅多にやるもんじゃないと思う。人によっては間違いなくドブ沼に落ちる。現在進行形で気が滅入っている人は、少なくとも「ライフハックブログに載っていたから」なんて軽い気持ちでやるべきではない。気が滅入っている状態における心の声などリビングデッドの呼び声に等しい。メンタル好調で、現実に大きな悩みは今のところ特に無し。そういった好条件の元で更に一歩先へ進みたい人だけがやるべきだ。自分の心の声が綺麗事を言ってきたらうるせえバカで突き放す。汚いことを言ってきてもうるせえバカで突き放す。

自分を手放す。これ最強。

 

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