珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

それでも生きていることについての覚書|今日も生きてるんだよなあ

みんな違ってみんなすげえ

世の中には才能のある人たちがうじゃうじゃごろごろいる……ように見える。たった30人そこらのクラスメイトの中にも「XXくんすげえ」「YYちゃんすげえ」と持て囃されるような人たちが何人もいて、皆それぞれ違う才能を持っている。サッカーが上手い人、野球が上手い人、バスケが上手い人、テニスが上手い人、水泳が上手い人、歌が上手い人、楽器が上手い人、書道が上手い人……絵が上手い人。とはいえクラスメイトの「すげえ」なんてのは「自分がよく知らないことをやっててすげえ」「恐らく自分には出来ないであろうことを出来ててすげえ」くらいの意味合いで、実際にやってみたらお前すげえなと言っている本人の方が、言われている相手よりもすげえ場合だってあるかもしれない。それでも今この瞬間は、相手の方がすげえわけだ。「すごーい」「すごいですね」はお世辞でも言えるけど、「すげえ」は素がポロリした、って感じがして信頼出来る。お前すげえな。これではあまりに品が無い?それは失礼。お嬢様言葉で言います。お前すげえですわ!

探し物 探しに行けない

私にも、丁寧に育てていれば開花した筈の才能があったのだろうか。それは神のみぞ――いや、神と、親と、先生のみぞ知る。ちょっとくらいはあったかもしれない。人よりは少なかったかもしれないけれど、小さい頃好きだったアレやソレ、学生の頃熱中したアレやソレ、もしかしたら。今でも時々、とうの昔に落ちた蕾へ思いを馳せることがある。「白黒さんすげえ」とか「れむちゃんすげえ」って言われたこと、無くも無いと思うけれど……忘れた。置き忘れた。才能の全てを過去に置いてきた。どんな海賊にも探せないところに。あっ私のHNの名字は「はぐろ」って読みます。「しろくろ」じゃないです。この記事で1番大事なことです。ここさえ読んでくれたらもうブラウザバックしていいです。

手札アドなんてなかった

人間はその時手札に持っているカードで勝負しなければいけない。ルールを無視して勝手にサイドデッキから1枚引っ張り出してきてこれが俺のオベリスクだワハハハハとやるわけにはいかないのである。もう手札を捨てすぎて出せるカードが無い。出せるカードが無くたって死なない限り生きられてしまうのは、こればかりはどうしようもないな。自分には何が出来るのかな。何も出来ないけどただ生きているな。何も出来ない自分はただ生きているけれど、何でも出来る人が死んだりするのは本当に理不尽だ。生きてるだけで丸儲け、という言葉がある。この言葉に対しては、「ほんとになあ」という気持ち半分、「ぶっ飛ばすぞ」という気持ち半分。あっ失礼。ぶっ飛ばしますわぞ。

すげえ。生きてる

こうやってのらりくらり生きていると実感しづらいが、現実にはどんな些細な物事にも必ず「出来る」と「出来ない」が付いて回る。スマホで文字を打つこと。服を畳むこと。カップラーメンを作ること。ジュースを注ぐこと。ひらがなを読むこと。足し算をすること。丸を描くこと。手足を動かすこと。まばたきをすること。息を吸うこと。息を吐くこと。生きること。空に向かって耳を澄ませばきっと沢山の声が聞こえてくるだろう。「お前、生きててすげえよ」。そうなのか。私は生きててすげえのか。でもお前もすげえよ。だって生きてたから。空に向かって返してやろう。「お前も、生きてたのすげえよ」。すげえのはお互い様。へへ。

 

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