珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

命についての覚書|たまには目を開いて現実を見る

「繊細」は最も縁遠い言葉です

自分はもっとガサツで図太い人間だと思っていた。スプラッタ映画を見ながらドロドロのトマトジュース片手に鉄板でジュージューと肉を焼けるような人間だと思っていた。ショッキングなものを見てもホエーッとか言いながら普通にメシが食える人間だと思っていた。昨日だか、一昨日だか、その辺りからずっとについて考えている。

人間、新しい顔よ

やはり頭と体は物理的に別々であるべきなのでは。「体は木っ端微塵になりましたが頭部は綺麗に残っており本人の意識もはっきりしているため、新しい体の用意が急がれます」「頭部は完全に破損していますが体は綺麗に残っており心臓自体はきちんと動いているため、新しい頭部の用意が急務です」みたいな。脳みそと、心臓。超超大事な器官は上と下に1つずつあるのだから、生き残るチャンスもその分あって良いのではないか。でも……でも、人間がそれくらい強くても、勝てないものはいっぱいある。片方が生きているうちにダメになったもう片方を用意する金が無いという貧乏。貧乏には勝てない。片方はちゃんと生きているのに、そのことを誰にも気づいてもらえない孤独。孤独には勝てない。運悪く頭と体が全く同時にダメになってしまうという不幸。不幸には勝てない。頭も体もどちらも生かしておくものかという強烈な意志。強烈な意志にも勝てない。そして……轟々と襲い来る……にも勝てないんだろうなあ。勝てなかったんだろう。

無才はただ消え去るのみ

誰かと誰かを比べて「どちらか1人しか助けられないのなら才能のある、優秀な方を」と考えてしまうのは、本当は良くないんだろうけど、ねえ。どうしてもそういう合理的な勘定が頭をよぎるのは仕方がないと思う。学も才も無いフリーターの私と将来有望な甲子園球児が崖にぶら下がっていてどちらか1人しか助けられないのなら、将来有望な甲子園球児の方を助けて欲しいし、実際多くの人はそちらを選択するだろう。私と東大生なら東大生を、私と人気モデルなら人気モデルを、私と人間国宝なら、そりゃ人間国宝を選んで欲しいし、選ぶべきだ。でも、しがないフリーターの私と、私以上のダメ人間(仮)がぶら下がっていたら……私は、「そいつより私のほうが使えます!私の方を助けてください!」と叫んでしまうのだろうか。ぞっとするなあ。

コモンカードを何千枚集めてもブルーアイズとは交換出来ない

リアルで残酷なことは言いたくないけれど、非現実的で綺麗すぎることも言いたくないのだ。ボンクラを1000人集めて縄で縛ってあの世の門の前まで引きずって「すみません、先程こちらに才能のある若者が来たと思うんですけど、どうかこいつらと交換してやってくれませんか」と頭を下げに行きたい気分だ。もちろん、私が縛られて引きずられる側でも良い。交渉の結果はまあ、お断りされるんだろう。渋々縄を解いてやれば、彼らは蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。この世も非合理的だが、あの世も非合理的だ。現実においては結局、命に上下や軽重や貴賎があることなんて、みんな分かっている。分かっているけれど、そんな恐ろしいこと口に出来やしないから。

 

こんな具合で、昨日だか、一昨日だか、その辺りからずっとについて考えている。

 

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