珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

そこそこの部屋と掃除についての覚書|躁の日の汚れ躁の日のうちに

(こんな副題だが別に私は躁鬱ではない)

今はそこそこの部屋です

クリスマスには何もクリスマスらしいことをしなかったが、年末にも何も年末らしいことをしていないし、このままだと正月にも何も正月らしいことをしないのだろう。多分、大掃除も。そんなことを考えながら部屋を見渡している。やる気のある時だけ掃除をし、やる気のある時だけ部屋を片付け、やる気のある時だけインテリアグッズを買い、やる気のある時だけ模様替えをした結果、約1年ほどかけてそこそこの部屋が出来上がった。

 実に機能的

ベッドの横にパソコンがあり、電気ケトルがあり、電子レンジがあり、その上にオーブントースターがあり、なんとその隣に冷蔵庫まである。ベッドから降りずとも大抵の用がこなせる完璧な空間である。ダイソーで大量に購入した白とグレーの収納ボックスにあれこれ入れて、それもベッド脇に置いてある。細々した雑貨は全てモノトーンで統一しているので、安っぽいが、まあそれなり。最近の100均はすごい。PC周りのコードを隠せる機能的なボックスも、ドリッパーを乗せておくお洒落なスタンドも、部屋に馴染むシンプルなコロコロローラーも、ティッシュケースも、モノトーンのアイテムが110円で手に入る。

ベッドに転がって撮った1枚。手を伸ばせばパンが焼ける。

f:id:shirokuro_044:20191228075247j:plain

大掃除をしなくてもカレンダーをめくらなくても年越しそばを食べなくても

年末だからとか、新年だからとか、新年度だからとか、そういう理由で大掃除に取り組む気がどうにも起きないのは、単に私が自堕落な人間なせいか、それともそういった節目が私にとって何の意味も持たない普通の日の1つに過ぎないせいか。家が汚くても年は越せるし、新年は勝手に上がり込んでくる。特におせちや雑煮を食べることもなく、福袋を買いに行くようなこともなく、本当にいつも通りで、ただ外に出るとなんとなくふわふわした年末年始特有の空気を感じる、そのくらい。元旦に行く近所のコンビニはなんだかいつもと違った雰囲気がある。「ウワッ!自分元旦からコンビニ来てる!」って実感が四方八方から襲ってくる。それはさておき、掃除をするために必要なのは何かの節目ではなく、時間と、気力と、体力。この3拍子揃わない限り私は永遠にベッドの上で涅槃仏と化す。

ヤツは嵐のようにやってきて嵐のように去っていく

 上の3点が同時にやってきて掃除のやる気スイッチが入ったときは、まあそれなりにやる。掃除をしている時は常に「今を逃したら一生やらない気がする」「今家の中をピカピカにしたら生まれ変われる気がする」などという特に根拠のない謎観念に襲われるので、結構必死だ。すると段々調子が出てくる。バイト先で暇な時に掃除をしている間は常にこれくらい楽しいものだが、自室となるとどうしてそのハードルがグンと上がるのか。そうしてなんやかんやノリノリで掃除をしているわけだが、ある時突然スイッチが切れ、微妙にやり残した状態でスン……とベッドに戻る。完遂していないので達成感がない。頑張ったのに何故か虚無感がすごい。でもそれなりに綺麗になった。日頃こんな具合なもんでまあ、「休日には必ず2時間掃除をする」みたいな取り決めも殆ど意味を成さないのである。時間、気力、体力、これ大事。

このように強迫観念や衝動に追いかけられているうちは華だと思う。いずれ奴らも私を追いかけるのを止めてしまうかもしれない。

 

f:id:shirokuro_044:20191228195439p:plain