珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

「余裕」の自給自足についての覚書|これから毎日パンを焼こうぜ

「家でパン焼いてそうな人」という名誉

前世で一体どれ程の徳を積んだら、自宅で手作りのパンを焼く生活が手に入るのだろう。私も自宅でパンを焼きたい……わけではないのだが、その気になればパンを焼けるような生活をしたい。自宅でパンを焼いてそうな人になりたい。自宅でパンを焼く人と焼かない人の間にある深い溝。とはいえ近頃は安価で高性能なホームベーカリーが手軽に手に入るようだし、金銭や時間や環境の問題というよりは、心の余裕の問題である。パンを焼きたいわけではない。この際パンを焼かなくてもいい。ただ、その気になればいつでもパンを焼ける健全な肉体と健全な精神が欲しい。ドラえも~ん、お洒落でカッチョいいホームベーカリー出してよ~。のび太くん、それくらいAmazonで買いなよ。

今年も生きるつもりらしい

三日坊主に手足が生えたような人間であるからして、1年の抱負を決めるような柄でもないが、敢えて考えるなら、「余裕のある人間になりたい」。2019年はとにかく余裕が無かった。箸が転んでも憎い1年だった。自分にとって優しいものは何一つ無いと思っていた。余裕があれば、優しいものもきっと見えてくるのだろう。余裕を持つためには何をすればいいのだろうか。余裕を持つために必要なもの。それは、それは……余裕

 お金で買えないものばかり

余裕のある人間になるための余裕が無い。服を買いに行く服が無い理論と同じである。余裕を持つためにさえ、余裕が要るのだ。何だってそう。希望を持つためにも希望が要るし、勇気を持つためにも勇気が要るし、自信を持つためにも自信が要る。余裕のある人は余裕のあるが故にますます余裕のある人間になり、余裕の無い人は余裕の無いが故にますます余裕の無い人になる。鼻で笑われるかもしれない。けれども実際、ティースプーン1杯分の余裕さえない者もいるのだから(ここに)。持たざる者、生きるべからず。まさに素寒貧。

パンも焼けるはず

ならばどうするか。自分には余裕があると思い込むしかない。余裕があると思い込まなければならないという状況が既に余裕がないことにほかならないのだが、0から1を生み出すにはこれしかない。晴れの日も、雨の日も、仕事の日も、休みの日も、楽しい日も、苦しい日も、甘い日も、辛い日も、自分には無条件で余裕がある!息を吸って余裕、吐いて余裕。私は余裕のある人間なので、その気になれば自宅でパンだって焼けるし、そう……パンなんて焼こうと思えばいつでも焼けるのよ!今はただ焼く必要がないから焼いていないだけであって、私にもパンくらい好きな時に焼けるんだから!

2020年、ホームベーカリーはあったほうがいいのかもしれない。

 

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