珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

居てもいいところについての覚書|「いいよ」を疑いだしたらキリがない

「落とし物あります」

とある歩道に面した場所に、木彫りの大きな手作りオブジェをしこたま並べた工芸品店がある。最近になって、そのオブジェ群が落とし物を引っ掛けておくスポットになっていくのを見るのがなんとなく面白い。帽子、手袋、マフラー、ハンカチ。拾ったはいいもののそれを持て余した通行人が、ついつい引っ掛けていくのだろう。これには店主もさぞかし迷惑している……と思いきや、案外そうでもないのかもしれない。厳密に日数を数えたわけではないのだが、それらは2週間くらいずっと引っ掛かっている。ある程度経ったあたりでひっそりと消えてなくなり、数日後には別の落とし物が引っ掛けてある。そんな長いあいだ店主が気づかないとも思えないので、恐らく気づいていてそのままにしているのだろう。今は裏返った黒いベレー帽が持ち主の帰りをへんにょりと待っている。

 それでもここにしかいられないわけで

 さて、あの店の店主は絶えずやってくる迷い子たちのことをどう思っているのだろう。あわよくば持ち主の元へ戻れるようにと思っているのか、帽子や手袋の1つや2つ放っておけと思っているのか、内心では正直勘弁してくれと思っているのか、それとも……本当に気づいていないのか。もしも私が店主なら、毎朝の掃除のついでにでも全部まとめてごみ箱に放り込んでしまうだろう。彼らの命は私の心ひとつ。それはさておきあのベレー帽が今も生きていられるのは、店主の恩情か、黙認か、あるいは忍耐があるからこそ。人間も、誰かの恩情や、黙認や、忍耐によって生かされたりするように。

自らの非でクラスメイトからも周囲の大人からも露骨にハブられて居場所が無くなるというリアルな夢を見たせいでこんなことを書いているわけですが

私は、いる。あなたも、いる。いるからこうしてブログを書いているわけだし、ブログを読んでいるわけだ。この世にいる人たちは当然みんないるのだけれど、間違っても「自分が今ここにいることは、周囲からどのくらい許されているのだろう」なんて考え始めてはいけない。「もちろんここにいてもいいよ」と思われているのか、「まあここにいるのは勝手だけど」と思われているのか、「なんでここにいるんだろう早くどっか行ってくれないかなあ」思われているのか。叶うならばもちろん1つ目がいいけれど、たとえ世界中の人から3つ目のように思われていても、命があるならばどこかにいなくちゃいけないのが、人間の辛いところだな。

あのベレー帽は自分がどんな許しの元に存在しているのか知っているのだろうか。願わくば、店主の恩情の元にあらんことを。

ここではないどこか

両親との仲は良好なので、家庭にはいてもいいはず。家賃と水道光熱費は毎月しっかり払っているから、今のアパートに住む権利はきちんとある。バイトはまあそこそこにやってるし、職場にいてもまあいいんじゃないかと思う。税金は納めてるし悪いこともしてないから、一応社会にいる権利もあるだろう。ポイ捨てはしないしたまにレジ袋を断ったりもしているので、地球にいるのも許して欲しい。こうして見ると物理的な居場所は結構あるのだけど、気持ちの方は住所不定無職のプー太郎で困ったものだ。気持ちをどこに置いておけば、「もちろんここにいてもいいよ」って言ってもらえるんだろう。地球上に置き場所が無くなった時のために、宇宙とか天国とか浄土に予約を入れておくべきかもしれない。

いいよ(適当)

「いいよ」という言葉に込められるもの。あなたのことを信頼しているから、いいよ。あなたにはその権利があるから、いいよ。特に却下する理由もないから、いいよ。本当はよくないけど、いいよ。あなたのことはどうでも、いいよ。

 

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