信じる権利と信じない権利についての覚書|信じようと、信じまいと―
2000円あったらカルディでおいしいコーヒー豆がいっぱい買える
出勤前に大通りのど真ん中で2000円拾ったので交番に届けました。本当なんです信じてください。足元に転がる2枚の1000円札を見たときはつい本能で拾ってしまったのだが、自分はこれから仕事だし、急いで5分くらいの場所に交番はあるけどどうすっかなあと逡巡し、一旦2000円を持ってバイト先に寄って大急ぎで制服に着替えて上からパーカーを羽織り、バイトくんに「お金拾ったんで交番行ってきます!ちょっと遅れるかも!」と言い残して駆け足で交番に行った。本当なんです信じてください。落とし主が見つからなかったら云々という権利は放棄しました。本当なんです信じてください。対応してくれた警察の人は20代前半くらいの若いお姉さんでした。本当なんです信じてください。小休憩中だったのか紙パックのカフェオレを飲んでらっしゃるところにお邪魔してしまったのでちょっと申し訳ない気分になりました。本当なんです信じてください。紙パックのカフェオレを飲んでいたんです。私が2000円を交番に届けたことは信じなくてもいいので交番のお姉さんが紙パックのカフェオレを飲んでいたことだけは信じてください。本当なんです!信じてください!
マトリョーシカ構文
こうやって私がいくら文面で「本当なんです信じてください」と言い、読者の皆様から「本当ですか信じてあげます」と言っていただけたとしても、真実は天と防犯カメラのみぞ知る。私がこの場で皆様に提供出来る証拠は何ひとつないし、皆様がこの場で確認できる証拠は何ひとつない。けれども私が「本当なんです信じてください」とお願いして皆様が「本当ですか信じてあげます」と了承する一連の手続きは至ってカンタンである。私が「きっと読者の皆さんは今頃信じてくれているだろう」と信じ、皆様が「きっとコイツは今頃『きっと読者の皆さんは今頃信じてくれているだろう』と信じているだろう」と信じてくださればそれでよいのです。な、なんて?????
なにもつまってない解説
つまり、私はこの記事を公開した時点で、「交番に届けた証拠はなんにもないけど、逆に交番に届けてない証拠もないわけだし、信じる理由はないが信じない理由もないので、まあ7~8割くらいの人は信じてくれるだろう」と、私は信じているわけです。それで、読者の皆様は、「このブログの筆者は我々読者がこの話を信じてくれるものと信じて記事を公開しているんだろうなあ」と漠然と思ってらっしゃるのではないでしょうか、と、私は信じているわけです。な、なんて?????
人間の自由は人間の頭の中にしかない(ダブルミーニング)
このようにして(?)、私と読者の皆様は、ふんわりした信頼関係によって成り立っているのであった。上の文章からだと私が皆様を信じ、さらに私が私の作り上げた皆様という像を通して私を信じているという、私のひとり芝居にしか見えないのですが。当ブログは読者の皆様が「嘘乙、そんなこと言ってどうせ2000円ネコババしたくせに」とわざわざ面と向かっては言わずにおいてくださることによって成立しています。いや、書いている時点ではまだ公開していないのだから成立していますという言い方はおかしいですね。成立する予定です。ふざけているように聞こえるかもしれませんが、これは大真面目な感謝なのです。なんせ怯懦な小心者ですから。読者の皆様には、白黒れむという人間が落ちていた2000円をネコババしたと 考える権利 があるのです。その権利は大いに尊重されるべきです。しかしながらそれを私に直接伝えることについてはまた別件になりますので、後日別の場を設けて、酒でも飲みながら話しましょう。もしも人間が人間の頭の中を、つまり相手が考えていることを読む能力を持っていたら、この考える権利 さえも存在しなかったかもしれませんね。
相手に「本当である証拠」をしこたま要求するなら自分の方も「嘘である証拠」をちょっとくらい用意しておかなきゃなあ
ネットにはよく、誰かのもの珍しい経験談やほっこりエピソードなどに秒で「嘘乙」「作り話乙」などとコメントし、あたかもその発言者が「おっしゃる通りでございますこの度の話は私の作り話です誠に申し訳ございません大変お騒がせ致しました」と”白状”するのを今か今かと待ち構えているような人たちがいる。その話を書くことによって誰かが損害を被ったり秩序が大きく乱されるような代物でないのなら、心の中で「はーん、嘘くさ」と思っときゃそれでいいのにな。そういうことを言わずにはいられない人、傍から見ればただただカワイイだけということに気づいているんだろうか。ちょっと想像してみてほしい。大勢の小さな子どもの前で大人が話をしていて、みんな黙っておりこうさんに聞いているのに、たった1人だけ「ぼくもそうおもう!」とか「わたしはそうおもわない!」とか元気に叫んでいる子どもがいたら、ちょっとカワイイでしょ。周囲からすればさぞかし迷惑だろうけど。親御さんはさぞかし恥ずかしいだろうけど。
ドンキの卵はめちゃ安いけど本当に「値段相応」って感じ
そもそもインターネットに転がっている情報のほとんど全てが「信じるも信じないも自由」なんだから、いち個人の呟きにわざわざ「俺はそんな話信じないぞ」と言いに行かなくたって、信じている人は黙って信じているし、信じてない人は黙って信じてないのだ。チラシを眺めながら「卵が1パック98円!?信じる!」とか「地域最安値……?信じない!」とか、そういうことを店までいちいち言いに行かないでしょう。卵が1パック98円なのを信じるも信じないもあなたの自由で、地域最安値という言葉を信じるも信じないもあなたの自由なのだ。信じるも信じないも自由というのはつまり、「こっちの話を信じるとか信じないとかそういうことをいちいち報告しに来られても困る、どちらを選んでもいいからそれはお前の心の中にしまっておいてくれ」ということです。まあ卵1パック98円というチラシを出しておいて198円で売ってたらフツーにアカンと思いますけど。なので先程も言ったとおり、明らかに誰かが損害を被ったり秩序が大きく乱されるような場合は別です。
仕事の書類を眺めている人間と紙パックのカフェオレってなんであんなに親和性が高いんだろう
もしかすると警察のお姉さんが飲んでいたのはパックのカフェオレではなくコーヒー牛乳だったかもしれない。そうすると私は嘘をついたことになりますね。次交番に行ったときはそのへんまでちゃんと見るようにします。