珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

「自分らしさ」についての覚書|そんなことよりパンケーキ焼こうよ

ジブンラ=シーサ(1993生~1993没)

これといった特徴のない、凡庸な、まるきり凡庸な人間が、「自分らしさ」を追求することに意味はあるのかについて。ここでは「凡庸だと思っているのは当人だけであって他人から見れば実はこんな長所が云々」というような、前提を疑う話は無しにしておこう。自分らしさがまるで無いことが自分らしさなのだろうか。ええと、「自分らしさ」が現時点で・・・・無いということは、つまりこれからどんな人間にもなれるということであって、そういった意味では無限の可能性が……という話ではなく!ええい、人間は隙あらば物事を変換しようとする!頭の中の変換キーが常にめり込んでいて、一文字打っては変換、一文字打っては変換を延々繰り返す!それに「自分らしさ」が現時点で・・・・無いのではなく、今も、これから先も・・・・・・・・・無いのだ!「自分らしさ」が無い=無限の可能性?そんなお花畑理論はやめろ!ファッキン「自分らしさ」!

耳障りのよい篩(ふるい)もあったものだ

何故人は口を開けば「自分らしさ」とのたまうのか。何故人々は口を揃えて「自分らしさ」を求めるのか。何故世の中は「自分らしさ」を必要としているのか。一体全体誰が「自分らしさ」が必要な世の中を作り上げてしまったのか。今の世の中が「自分らしさ」を求めるのは、「自分らしさ」のある人間を選び抜くためではなく、「自分らしさ」のない人間をふるい落とすためではなかろうか。かつて「自分らしさ」のある人間が2割、そうでない人間が8割だったのが、今となっては世の中の要求にせっつかれて「自分らしさ」を強いられた人間が8割、その要求に応えられない人間が2割、そしてその出来損ないの2割を社会からふるい落とすために「自分らしさ」を絶えず要求し続けるというわけだ。この理論は私が今適当に考えたもので何の根拠も無いけれど、あながち間違いというわけでも無いと思う。そして私はその2割である。チクショー!

「自分らしさ」が無いので闇堕ちします

どんなに頑張ってもその場しのぎの「自分らしさ」さえ用意出来ずに社会から落伍していく同志諸君、我々はこれからどうしようか。「自分らしさ」が無くともこの世に生まれたからにはどうにかこうにか社会にしがみつくしかないのだ。今や「自分らしさ」が無いことはマイノリティである。限りなく悪い意味を含んだマイノリティである。だったらこう、マイノリティをパワーにして、こう……「自分らしさ」が無いことが「自分らしさ」みたいな……つまり、つまりだね、我々が考えるべきは「自分らしさ」が無いことを「自分らしさ」として生きていくために、どんなエネルギーが必要なのかということ……そしてそれは誰がどう考えたって負のエネルギーでしか有り得ないということ……そんな負のエネルギーを四六時中放出していたら我々の精神は一体どうなるのか……死ぬわ!ワッハッハ!

すぐに裏返したがる悪い癖

 「自分らしさ」は私の中で常に裏返ろうとする。SCPの某ちくわよろしく、常に裏返ろうとする。「もしかしてXXは自分の良いところ、「自分らしさ」なのでは?」という考えも瞬時に裏返って、「アッそれってつまり裏を返せばYYってことじゃないか?自分の良いところなんて結局無いんじゃないか!」となる。どうしてそこで裏返すんだ!そうやって何でもかんでも即座に裏返そうとするから型崩れを起こすのだ。フライパンに流し込んだパンケーキミックスを3秒で裏返す奴があるか!片面がきちんと焼けるまで待って、待って、十分に火が通ってそれから裏返す……アッだから裏返しちゃだめだって言ってるだろ!ステイ!ステイ!

 まとめ

Q.どうして今日はこんなにテンションが高いんですか?

A.疲れているからです。

 

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