珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

とりあえずなんか書いとこって感じの覚書|ここもとりあえずなんか書いとけ

限界フリーター、人生の意味について考えがち

その日その日に起こした行動や思考が己の人生にとってきちんと意味のあるような人生を送りたかった。24時間365日そうあれとは言わんが、週2~3くらいで、1日4~6時間くらいで、6時~22時の都合の良い時間で、フリーター大歓迎という条件のもと、意味のある日々を。バイトを夜勤に移して来月で2年が経つが、2年前のその日から、いやその更に2年前から、どこかへ向かっている実感が手元に無いままだ。どこかへ向かっている実感をどこかへ置いてきてしまった。なんというかこう、大学を中退してから2ヶ月程のニート期間を経て初めてスーパーで働き始めたその日の上をずっと足踏みしているだけで、何らかのゴールに向かって進んでいる気がしないどころか、生命のゴールに向かって進んでいる気さえ全くしない。自分は本当にきちんと死に向かって進んでいるのだろうか?私は100年後も200年後も変わらず限界フリーターとして働いているのではなかろうか?意味のある人生が22歳で止まってしまったので、人生に意味を見出さない限り、私はずっと22歳のまま。

 

毎日が食傷気味

とはいえ、日頃から人生の意味について考えながら生きている人はそう多くないだろう。ある日は偶然楽しくて、ある日は偶然悲しくて、ある日は偶然嬉しくて、ある日は偶然苦しくて、そういう毎日を紐で綴れば、ホイ、人生。やがてそこから意味がにょきにょき。綴られた毎日こそ人生の意味が生えてくるための土壌。毎日が土作り。人生の意味は頭の中から生えてこない。であるからして、自室に篭って黙々と古典を読んでいるよりも近所を2へんでも3へんでも散歩していた方が今の自分には有用なはずなのだが、まァほら、夏は暑いから仕方ない。とにかく、最も手頃なところでいけば「今日『は』楽しかった」とか「今日『は』悲しかった」とか、そういうことが必要なのだ。「今日『も』苦しかった」ということばかりではなく。多分。恐らく。しらんけど。

 

薄ければ薄いほど賞賛されるのは一部界隈だけですよ

そういえば人生設計というものを真面目に考えたことがなかった。若人に紛れることが許される範囲までは夜勤バイトでやっていきたい。一体何歳まで大学生のニーチャンに紛れて働くことが許されるのか――いや、働くことに 耐えられる・・・・・ のだろうか。今のバイト先にずっと籍を置けるのなら35歳、出来れば37歳までは居たい。これは私が続くかの問題よりも店が続くかの問題の方が大きい。そこからは……まあぶっちゃけ何でもいい。雇ってくれるなら。「ぶっちゃけ何でもいい」という人生設計があっていいのだろうか? 貯金はあるに越したことはない。現状では月に10万のペースで貯金しているが、今の生活は娯楽費交際費等が限りなく0に近い一方で細々した浪費(ほぼおやつと栄養ドリンク代)が多いので、どんどん絞っていきたい。家にパンがあるのにどうしても食べたかったのでカップ麺を買ってきたとか、そういうのを止めたらええんやで。人生設計というよりもただただお金の事しか考えてないな。恐ろしく薄い人生設計だ。やりたいこととか、欲しいものとか、そういうのは全く眼中になくて、ただ「住むアパートを失わない」とか「大家に電気水道を止められない(ガスは数年前から止まってるので問題ない)」とかそういうことしか考えてない。必死に働いて必死に貯金しているのも、「歳を取ってからホームレスにならない」という最小にして最大の目標ただそれだけのため。薄い。タカハシかよ。

 

15円欲しい!!!!!!!!!!!!!!

今日は特に書く事が無かったのだが、不思議とブログは書きたい気分だったので、なんとなく書いた。Twitterでも投げてろと言われそうな独り言ばかりだが、まあたまには良いだろう。喋る相手のいない人間は、頭の中につまらぬ言葉の塵がどんどん溜まっていくものだ。またこれも独り言なのだが、明後日が誕生日です。amazonギフト券15円分ください。

 

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