珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

あの日思い描いた「おみせやさん」とその現実についての覚書|そこに自己責任という言葉があるじゃろ

いいないいな なれたらいいな 

人が「どうして俺は毎日毎日ゲームなんかやっているんだろう」と考えながらぼんやりゲームをしている時、ゲームの中の冒険者もまた「どうして俺は毎日毎日冒険なんかやっているんだろう」と考えながらぼんやり冒険をしているのかもしれない。或いは、人が「冒険したいなあ」と思いながらぼんやりゲームをしている時、冒険者もまた「ゲームしたいなあ」と思いながらぼんやり冒険をしているのかもしれない。冒険やりたいやつが冒険やって、ゲームやりたいやつがゲームやったらええねん。泉にお祈りしてマッチングした人とジョブチェンジが出来る時代に生まれたかった。ただ、そうするとどうしても「誰もやりたがらないジョブ」が生まれるわけだけれども、ほら、そのためのロボットですよ。ストレスで人がバタバタ倒れるこの時代、ロボットは「やりたがる人がまだいるジョブ」を代行してる場合じゃないんですよ。「誰もやりたがらないジョブ」を代行してくれ。社会平和のために。

 

来たるべき完全無人営業の時代に備えて店舗に導入されているセルフシステムは積極的に使おう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!11

私が今やっているジョブも、いずれロボットとか機会が全て代行してくれるのだろう。現状、3割くらいは代行してもらっているわけだし。常連の中に意地でもセルフ機械を使わない入店即呼び出しボタン連打おじさんが何人かいるのだが、いい加減時代に追いつくか、さもなくば寿命に追いつかれてほしい。80近い常連の爺さんですらセルフを使いこなしているというのに。いつか本当に店から人間が消えた時、必要なものが買えなくて死ぬ羽目になっても知らんぞ。商品片手に店中泣きながら探したって呼び出しボタンは無いし、レジを打ってくれる人間はいないんだからな。まあ、おじさんが生きてるうちにそうなるかは怪しいけどな。私が婆さんになってる頃には、そうなってるかもな。

 

半分、黒い。 

 人生は短いので、やりたくないジョブなんぞに貴重な時間を割いている場合ではないのだが、人生でやりたいジョブにありつけるのはほんの一握りの人間だけで、殆どの人間は「やりたくないジョブ」「気が進まないジョブ」「別にやってもいいジョブ」「やれんこともないジョブ」「背に腹は代えられないジョブ」「ノージョブ」などに人生を費やし、その合間合間に小粒の快楽を貪って自分を慰めながら人生を終えるのである。とはいえ、平民に生まれたら死ぬまで「やりたくないがやらないと殺されるジョブ」に人生の全てを費やす以外の選択肢がなかった人々に比べたら、我々の眼下に広がるジョブたちのなんと彩り豊かなことか。それはさておき、週に40時間、面白くもない仕事に人生を費やしている人間の場合、人生の盛りの時期の4分の1が「やりたくないジョブ」に占められているということなのだが、つまりは仮にその人を6時間睡眠としても人生の盛りの時期の実に半分が「暗闇の中」というわけだ。わ、我々は一体……暗闇の中で一体何をしているんだ……?

 

無邪気にビニールプールで遊んでいる幼稚園児の中から将来医者になったり弁護士になったりフリーターになったりニートになったりする人間が現れるのだと思うと感慨深い

幼稚園くらいの子供は何故かやたらとあの「商品をピッピピッピする作業」に憧れて、将来の夢を「おみせやさん」と書いたりするものだ。昔の幼稚園児向けの雑誌の付録にもよく紙を組み立てて作るレジのおもちゃが付いていた。今はどうか知らないけど。今時の付録はすごいので、普通におもちゃ屋で買うようなものが付いているのかもしれない。それはさておき、もし20ウン年前の私が将来の夢に「おみせやさん」と書いていたらしくしく泣いてしまうだろう。いや、書いていたような気がするけれども。せめて「せいしゃいんぼーなすねん2かいねんかんきゅうじつ115にちいじょうふくりこうせいじゅうじつのおみせやさん」って書いて欲しかった。一応言っておくと20ウン年後のお前は「あるばいとさいようぼーなすなしねんかんきゅうじつ52にちのおみせやさん」しとるんだからな。泣きたいのは20ウン年前の私の方だよ。

 

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