珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

「安心」と心中することについての覚書|刷れども刷れども火の車

どれにしようかな天のかね 様の言うとおり

「節約にかけるその熱意と時間をもっと効率的な金策に向けたらどうだ」と正しい人は言う。10円や20円をせこせこケチってる暇があるならばいっそネットなり内職なりで稼ぐ方法を考えるとか、なんなら早朝のコンビニで3時間バイトしてきた方がよっぽどマシだと。つまり、同じ苦労ならば100円節約するより1000円稼げよと言いたいわけだ。いやもう、本当、返す言葉も無い。今月1000円節約できたヤッターというのもそれはそれで趣のあるものだが、早朝のコンビニで3時間働いたら3000円の収入ですからね。コンビニで150円のコーヒーがスーパーで98円だからって、毎日わざわざ近くのコンビニではなく遠くのスーパーに足を運んだところで月に1560円の節約にしかならないわけでしょ(※)。一方、早朝のコンビニで3時間働いたら3000円なわけですよ。「月に1回3時間だけ働かせてくれるコンビニがどこにあるんだよ」という現実的な問題は一旦考えないことにして、もし月に1回早朝のコンビニで3時間働くことが出来るのなら、私は喜んで働くと思う。それから遠くのスーパーまで98円のコーヒーを買いに出掛けて、最終的にプライベートブランドの78円のコーヒーを買って帰ると思う。そういうことだよ。

※個人的にはクッッッソ大金なので現実では口が裂けても「しか」なんて言えない

 

「安心」を増やしたり減らしたりしながら生きる

私の場合、「安い」ということは全てに勝る。「安い」という超大型巨人を前にすれば、「美味い」だろうと「早い」だろうと「近い」だろうと「新しい」だろうと「すごい」だろうと「きれい」だろうと「ヤバい」だろうと「ナウい」だろうと、生まれたての赤子以上の力を持たないのである。食えたらいい、使えたらいい、手に入りさえすれば何でもいい。貧乏人根性ここに極まれりと言いたいところだが、ぶっちゃけそんなに金に困ってるわけではない。困っているのは「安心」の方である。私は「安心」に困っている。だから安いものを選ぶ。だから金を貯める。金は「安心」であり、それを使うことは安心の目減りである。98円分減らせば済むところの「安心」を、近いからとか便利だからとかいうちっぽけな理由で150円分も減らしたくない。減ってるのは金じゃない、「安心」の方なんだ。ウンと働いてウンと貯めてそれをスンとも使わぬまま死ぬことに対しては何の不安も恐怖もない。STGにおけるボムの抱え落ちは恐ろしいが、人生における金の抱え落ちはちっとも怖くない。抱えているのは「安心」だから。「安心」を抱えたまま死ねるなんて、理想中の理想じゃないか。私は所詮フリーターだから一体どこまで「安心」を貯められるかは分からないけれど、もし1000万円分くらいの「安心」と共に死ねたら幸せだろう。この世に残ったところの金は、誰でもどうぞご自由に。1000万円分の「安心」は私があの世に持っていった。その金はただの抜け殻、ただの残り滓なのだから。

 

わぁい「安心」 れむ「安心」大好き

少し前の記事で「給料日が来ても喜びが無い」とか「口座の数字が増えることの何がエライんだ」とかそういうことを書いた気がするが、まあそれはそれ、これはこれということで。とはいえ給料日が来て口座の数字が増えても現代ピーポーらしい「喜び」が無いのは事実だが、ただ「ほっ」とはする。「安心」が増えたから。とはいえ、「安心」が増えて一時的に「ほっ」としても、数日も経たないうちに漠然とした不安に襲われ、また「安心」を求めてカレンダーを眺めだすのだ。次の「安心」まであと何日だろう。早く「安心」が来てくれないかなあ。そんなことを考えていると、あっという間に「安心」はやってくる。わぁい。そうやって1年が過ぎ、2年が過ぎ、5年が過ぎた。こんな調子じゃ10年、20年が過ぎるのもあっという間なんだろうし、若い頃の全てを費やして手に入れた「安心」を抱え落ちする日も、あっという間にやって来るんだろう。

 

金はある種の「安心」だが金持ちが安心持ちとは限らないんだよなあ

「不安」=一時的に「安心」を支払うこと、としよう。「安心」を求めているにも関わらず、それを求める過程において、最終的に得られる「安心」以上の「安心」を支払っては本末転倒もいいところだ。1000円分の安心を得ようとして、2000円分の安心を支払っていては、差し引き1000円分のマイナスになる。ところが、自分が「2000円分の安心を支払っている」ことについて全くの無自覚、或いは見て見ぬふりをしている人間が実に多いと思う。そりゃまあ、貨幣経済の世の中で、手元に紙幣として在り自由に使うことも出来る1000円(分の安心)と、決して目に見えず自由に使うことも出来ない2000円(の安心)を比較するならば、前者の方に軍配が上がるだろう。目に見えず自由に使うことも出来ないのなら、1円だろうと5000兆円だろうと変わりゃせんだろうて。けれども、その2000円は間違いなく自分の口座から支払われた2000円なのである。2000円分の安心はデカいな。それで1ヶ月くらいはメシが食えそうだな。

 

ところで私はいつ「安心」出来るのか

先程から当然のように「安心」「安心」と連呼しているが、「安心」とは一体何なのか。何を言い表しているのか。その中に何が詰まっているのか。まあ「安心」の中身は人それぞれであろうし、私もここで自分の「安心」が何を指しているかを具体的に述べることは止めておこうと思う。というか、私自身が何ひとつ分かっていないし。まあ、なんだ、仮に早朝のコンビニで3時間働くことが、当人にとって5000円分の「安心」の支払いに当たるならば、3000円得たところで2000円の大赤字なんだから止めときなさいよ、ってことだ。

 

 

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