珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

矛盾の矛盾についての覚書|頭の内容量が減ってるんじゃなくて頭の容積そのものが減ってるんじゃなかろうか

ほこたて

なんもしたくないからなんかすることがほしいなあ

 

(^O^)

矛盾だと思われるだろうか?「なんもしたくない」というよりも「あたまからっぽにしたい」が正しいのかもしれない。で、あたまからっぽに出来るような「なんかすることがほしい」。ヨシ。現状、あたまからっぽになるくらいに熱中出来るようなこと――生産的なことが見つからないので、頭の中はつねにぐるぐるだ。このぐるぐるが実に体力気力を消耗する。稼働の必要がないときは頭のスイッチを切っておきたい。そのせいで地震雷火事親父から逃げ遅れたとしても、それが自分の運命であったとして潔く受け入れるから。

 

「最強」にも序列があってだな(矛盾)

「なんもしたくない」と「なんかすることがほしい」は、どちらが矛でどちらが盾なのだろうね。感覚的に捉えれば、積極的な「なんかすることがほしい」が矛で、消極的な「なんもしたくない」が盾に見える。それで……「なんかすることがほしい」という最強の矛が、「なんもしたくない」という最強の盾に挑みかかっている状態はまだ救いがあると思う。救われないのは、「なんもしたくない」という最強の矛が、「なんかすることがほしい」という最強の盾に挑みかかっている状態である。お前は間違っても蜂起しちゃいけない。黙って床の間に飾られてるか、武器庫の肥やしにでもなってろ。「なんもしたくない」という最強の矛は、最強の矛界でもとりわけ最強の矛であって、言うなればそう、「この世の全てを貫けるが、使った者は必ず死ぬ」最強の矛である。一度この矛を構えたが最後、リスポーンするまで死に体が確定してしまう。「なんもしたくない」は人を殺す。ついでなので盾についても考えよう。盾は守りである。「なんかすることがほしい」という守りとは、一見矛盾しているようにも思われる。「なんもしたくない」という守りが手足頭を引っ込めて引きこもっている亀ならば、「なんかすることがほしい」という守りは手足頭全てを突き出して臨戦態勢を取った亀だ。亀は亀でも亀仙人クラスの亀だ。つよい。甲羅の重さで全く動けない点を除けば。有り余るパワーを持っていながら、動けないのである。放っておいても甲羅の中でエネルギーが暴走して自爆する。うまく扱えれば、「なんかすることがほしい」は「なんかすることがあった」を経て「楽しい」や「生きがい」に昇格することが出来るのだが。言うなればそう、「この世の全てを防げるが、一定時間後に必ず自爆する」最強の盾である。

 

前回死んだ自分が生き返らないうちに戦い始めるのやめろ

ひとたび「なんもしたくない」という最強の矛と、「なんかすることがほしい」という最強の盾との争いが始まってしまったら、共倒れの未来しか見えないのだ。たとえ争いを始めなかったとしても、「なんかすることがほしい」という盾はいずれ勝手に自爆するので、それに「なんもしたくない」という矛が巻き込まれる可能性もゼロではない。よしんば巻き込まれなかったとしても、よく考えろ、残ったのは「『なんもしたくない』という矛」だぞ!これで一体どうしろというのだ!この先の人生どう戦えというのだ!まあ、その矛も使ったら死ぬってんで、やっぱり床の間に飾るか、武器庫の肥やしにしておくのが1番なんだなあ。

 

義務を課されないとうまくやっていけないタイプの人間は大学生になった途端に崩れ始めるから気をつけろ(経験談)

今年6月くらいの時点では、12月に貯金額のキリが良くなる予定なので、時期的にもキリがいいことだし、その時点での端数のお金を全て娯楽に突っ込む義務を課そうかと思っていた。が、給付金のお陰で貯金が+10万になり、そうなると12月の時点で10ウン万を娯楽に突っ込まざるを得ないことになってしまう。またもや、「お金を使わない言い訳」が生まれてしまったのだ。なんでやねん。「なんかすることがほしい」という盾がまた爆発してまうやろ。それに今のモチベーション的には、「なんもしたくない」という矛が絶賛蜂起中だ。あーもうめちゃくちゃだよ。誰かが義務を課してくれたらいいのにとさえ思う。何でもいい。「絵を描け」でも「料理をしろ」でも「ガンプラを作れ」でも「ランニングをしろ」でも「羊毛フェルトをやれ」でも「撮り鉄になれ」でも「ひとりソロキャンプ(?)をしろ」でも何でもいい。誰かが私に娯楽の義務を課してくれたら、私はハイワカリマシタといってそれに従うだろうに。「なんかすることがほしい」私に、誰か娯楽の義務を課してくれませんか?

 

 

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