進めよいよいかたつむりについての覚書|行きはよいよい帰りもよいよい よろしくないのは人ばかり 人ばかり
よいよい進んでいるかたつむり見たことある?
かわいいぞぉ
パーフェクトだ
バイトからの帰り道、よいよい進んでいるかたつむりがいたので、立ち止まってじっと眺める。よいよい進んでいるかたつむりを眺めるのは人間の義務です。疲れている人間にとっては尚更義務です。何故ならよいよい進んでいるかたつむりはかわいいからです。かわいいものは健康にいいからです。ハイ。完全完璧な理論終わり。
かたつむりやカエルって可愛くデフォルメされることが多くて人間界で比較的優遇されてるわりに現実で遭遇すると( 'ω')ギャァァァァァァってなる人が多いから彼らも人間って理不尽だなと思ってそう
かたつむり。じっとしているやつを見ても正直「ウワ……かたつむりだ……」くらいにしか思わないのだが、よいよい進んでいるかたつむりを見ると「ウワ!!!かたつむりだ!!!↑↑」ってなっちゃうのはなんだろうな。あのかたつむりは一体どこへ行くつもりだったんだろう。それを見届けるには、人間の1日はあまりにも短く、あまりにも忙しない。かたつむりの行く先を見届けるゆとりすら持たない人間の哀れさよ。じっくり眺めておきたいのは山々だったのだが、疲れてるし、暑いし、なにしろ家では洗濯だの掃除だのという義務が私の帰りを今か今かと待ってるわけで、45秒くらい立ち止まって、それからその場を後にした。よいよい進んでいるかたつむりを置いて。
よいよい(よくない)
人間は何かのためによいよい進む。人間の進む先には大抵目的がある。逆に言えば、人間はその先に目的がなければよいよい進むことすらマトモに出来ないんじゃないかと思う。敢えて目的、という言葉で濁したが、もっとうんざりするような言葉を入れてもいいと思うね。義務とか、仕事とか、そんなんをね。それに比べてなんだ、かたつむりの、「何かのためにどこかへ向かってるんだろうけど何のためにどこへ向かってるのかさっぱり分からない感」は最高じゃないか。かたつむりは何を目指しているのだろう。何も目指していないのかもしれない。かたつむりはどこへ向かっているんだろう。どこへも向かっていないのかもしれない。ただ平坦な地面があるから前方に進んでいるだけなのかもしれない。そこに何の目的もなく。ただ、よいよい進む。人間の皆さん、皆さんは一切の目的なしに前へ向かってよいよい進む方法をまだ覚えていますか?何もなくだだっ広いだけの部屋にひとり置かれた赤子は前によいよい進むでしょうか?それともその場でおすわりしたまま泣き喚くでしょうか?赤子にすら、よいよい進むための都合のいい口実が必要なのでしょうか?まだ口も利けないというのに。
何考えてるか分からない動物ははかわいいけど何考えてるか分からない人間はおっかないじゃろ そういうことだ
とかなんとか言ってみたものの、「何かのためにどこかへ向かってるんだろうけど何のためにどこへ向かってるのかさっぱり分からない感」なら、人間にもあるわな。しかしかたつむりのそれのようにほのぼのとした雰囲気を一切感じないのは何故なんだろうな。何かのためにどこかへ向かってるんだろうけど何のためにどこへ向かってるのかさっぱり分からないかたつむりは、かわいい。何かのためにどこかへ向かってるんだろうけど何のためにどこへ向かってるのかさっぱり分からない人間は、かわいそう。ハァー、一体どこで差が付いたのやら。
自己紹介でしょうか?
かたつむりも灼熱のコンクリートの上に置かれたらヤバいさっさと日陰に移動しなきゃいけないと思って日陰に向かってよよいよいよいと大慌てで進むだろう。人間だって灼熱のコンクリートの上に置かれたら同じ行動をするだろう。しかしそういう動物本能的な行動じゃなくて、もっとこう、ハッキリと意思を伴ったアレのことだよ。人間はいつもいつも自分の意思を操縦しながらどこかへ向かわなくちゃいけないから、どこへ向かってるのかさっぱり分からないのはマズイんだ。マズイと、誰かが勝手に決めたんだ。まあ実際、意思と行動がぐちゃぐちゃになるのはエライことだしな。でも意思と行動がぐちゃぐちゃになっている人間はそこかしこにいませんか?人間は一体いつになったら、自らの意思の操縦をパーフェクトにこなすことが出来るようになるのでしょうか?
「それうちの職場です」って人が普通にいそうなところが現代の闇
会社のオフィスの中で「あいつどこに向かって歩いてるんだろ」と思われるような人間がそこらじゅうにいたら大変だ。でも「あいつどこに向かって歩いてるんだろ」と思われるような生き物ならそこらじゅうにいるじゃないか。それでいて、特に咎められるでなく、無視されたり、観察の対象になったりするじゃないか。いいなあ。私はいつも人間ではない生き物が羨ましいよ。まったく。