自分のための他人のためについての覚書|隙あらばこの手の記事に物申す女
クソな人生せめて何かひとつくらい「ド素人」の域から抜け出して「素人」くらいを自称することが許されるような得意分野があったらよかったんですが
私がネットの海に氾濫するトーシローメソッドに対して良い印象を持っていないことは度々書いてきた。トーシローメソッド、要はインターネットの発展によって無数に生まれたド素人の、ド素人による、ド素人のための、科学や心理学の皮を被った方法論のような何かのことである。ただまあ、それらの中にも有用なものが存在することはれっきとした事実なので、ここらでいっちょ、なるべくポジティブかつソフトでマイルドな視点からそれらについて考えようと思う。いや決して、ここ最近ずっと悲嘆に暮れたぼやき記事ばかり書いてきたので、たまには何か役に立つかもしれない記事でも書こうかなと思った時に、結局その記事は自分で言うところのトーシローメソッド以外の何者でもないことに気づいて、自分に対する先制的自衛権を発動しておこうかなという下心など一切無いので安心して欲しい。ちなみに私自身ぺーぺーのアホのトーシロなのであまり真に受けないでください。恥ずかしいので。
モノクロなブログなので埋め込みリンクがあると記事が明るくなっていっすね
ド素人がド素人の経験から抽出したエッセンスをまとめて方法論に仕立て上げるのと、学術のプロがド素人 たち の経験から抽出したエッセンスをまとめて方法論に仕立て上げるのと、何がどう違うかなんてわざわざ言うまでもないだろうが、とりあえずここでは「いいこと聞いた(見た・知った・体験した)から皆にも教えたい」という人間あるあるの有無について考える。トーシローメソッドなんて大半がコレで構築されているんじゃないか?ここから2分くらいネットサーフィンして見つけた2つのサイトを適当に貼っておこう。
この記事は「シェア」の話なのでトーシローメソッドを「(一応)1から書き上げる」こととはまた毛色が違うが、「人に教えたい」という意味では同じなのでまあいいかなと。英語記事だから頭良さそうに見えるし。ところで、シェアする理由として「他人に有益な情報を共有するため」が49%なのに対し、「自分はこういう人間であるという謂わば自己表現がのため」が68%、「自己充足のため」が69%、「自身の交友関係を維持するため」が78%あるのがちょっと面白い。ふふっ。日本語には「わたくしそのもの」を表現する言葉が沢山あって便利だな。
こちらの記事に至っては、人がシェアする理由を「①感情を共有するため ②自分自身を表現するため」の2点に絞っており、「他人に有益な情報を提供する」という点をバッサリ切り捨てている。確かに続く内容や記事の主題のことを考えればその理由は切り捨てても構わないようなものだが、こうもあっさり削除されているとこれまた面白い。ふふっ。
はい。
徹底した利他主義者でもない限り、顔も見えぬ他人に対して自分の取り分以上の利を無償で投げてやろうとするもの好きはそうそういないものだ。まず自分の取り分を確保した上で、余りを他人に投げてやる。自分の取り分を少なめにして、他人へ投げる分を多くするような人が、俗的な意味合いで「聖人」と呼ばれるのだ。俗的でない方の聖人についても概ねそうであろうが、まあここでは俗的に呼ばれる方の「聖人」に限らせて頂きたい。こじれたくないので。私が2分でサーチして3分でまとめたところによると、「いいこと聞いた(見た・知った・体験した)から皆にも教えたい」精神は結局のところ、自己の利益に起因する場合が多く、他人の利益に起因するのは概してそれ未満ってことなんだな。フーン。知ってた。
夢の在り処 星の在り処 責任の在り処
じゃあ、私は数々のトーシローメソッドに対して、そこにド素人の浅はかな自己利益狙いが透けて見えるから嫌悪していたのかと言われると、なんだかそうでもない気がする。自己利益を狙うなんて当たり前のことなんだから。まあ多分なのだが、この記事でつらつら書いてきたこととは一切関係なくて、ただああいう手の記事の、責任がふわふわしているところが苦手なんだと思う。「自己責任でオナシャス」って書いときゃ何書いてもいいみたいなところがモヤモヤするんだと思う。満杯のゴミ箱に飲み終わったジュースの紙パックをねじ込むくらいの気持ちで他人の人生にまともな根拠のないド素人の独り言をねじ込もうとするような気持ちが気に食わないんだと思う。いや、人の生って満杯のゴミ箱みたいだなと言いたいわけではなくてね。もしネットでトーシローメソッドの記事を見て実行して死んだ人がいて、遺族がネット履歴からそのサイトを発見して、「うちの家族が死んだのはこの記事のせいだ!訴えてやる!」って類のことが……普通にもう起こってそうだな。ウン。訴訟大国アメリカではとっくに起こってそうだ。法律に関してはさっぱりなので何も言えないが、「自己責任でオナシャス」って書いてたら、たとえ死んでもやっぱり責任は負わなくていいのかな?実行者の責任能力にも依るのかな?
分かりやすそうなので今度読みます。
自己批判 自省しろ
ここで冒頭の段落の内容に戻ろう。
いや決して、ここ最近ずっと悲嘆に暮れたぼやき記事ばかり書いてきたので(=自己弁護)、たまには何か役に立つ(=他者の利益?)かもしれない(=必死の保身)記事でも書こうかな(=罪滅ぼし)と思った時に、結局その記事は自分で言うところのトーシローメソッド以外の何者でもないことに気づいて(=言い訳)、自分に対する先制的自衛権(=おばか)を発動しておこうかなという下心など一切無いので安心して欲しい。
ウーン、擁護出来ないくらい自分の利益に起因していますね。だめだこりゃ。