珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

冬眠暁鐘を覚えずについての覚書|冬の夜はクッソ寒いのでお布団に潜ったが最後アラームにも気づかず寝過ごしてしまうの意

ネムゥイ! 

( '-').。oO(あかんこれ完璧に冬眠シーズン入った)

 

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近頃は寒さも相まってかとにかくおふとんが恋しい。朝、深夜労働から帰るとコートやらジャケットやらを羽織ったまま辛うじて顔を洗い(えらい)、袖がビチャビチャの上着をガッチリ着込んだまま(えらくない)、おふとんに潜ってものの5分で就寝。起きたら夜。これはひどい。ここ数日、ブログに書きたいことは沢山あった。メモ帳アプリには記事のネタがつらつらと記されている。それらを全て犠牲にして貪った惰眠の味は甘美であったか?答えはノーだ。

 

きたない出来レースだなあ

世の中には、肉体の方はどうであれ、精神的にどうしても怠惰になりきれない人間がいるのだ。そう、私のように。肉体は怠惰を欲している。脳は肉体の欲するままに怠惰を許可する。そうして肉体はたっぷり惰眠を貪る。一方その頃の精神はというと、最後の最後まで怠惰に抗い続けてゲッソリと疲弊している。私の精神は常に勤勉へとその票を投じるのだが、肉体と脳は常に怠惰へとその票を投じる。お前ら2人なんかに負けるわけねえだろお前おう。どっこい近頃では、なんというか、肉体と脳とそれ以外に何か、私を怠惰の側へと引きずり込む強い力があるような気がして、外部から投じられる謎の1票により投票結果は常に1対3である。「3人に勝てるわけないだろ!!」「 馬鹿野郎お前俺は勝つぞお前!!」……というわけで、私が夢の中にいる間に精神が一体何をされたのか知らんが、こてんぱんにしてやられリングに倒れ伏した精神が、私を心地よいまどろみから忌まわしいぬかるみへと突き落とすのである。すなわち、後悔と懺悔の泥土へと。

 

ある眠りを睡眠と呼ぶか惰眠と呼ぶかというだけの違い

 なんでも知ってるはてなブロガー諸兄に是非ご教授願いたいものだ。上手な怠惰のやり方を。怠惰とは一口で言えば、肉体、脳、精神が足並み揃えて怠惰に票を投じた時にこそ、上手く貪り得るものではなかろうか。そこまでは、分かる。いくら精神が寝るぞと意志を強くし脳が寝ろと指令を出したとしても、肉体が勤勉であればそれは上手くいかぬ。ただしそれはいわゆる「無茶」というやつなので後頭部を殴られてでも寝ましょう。肉体と精神が睡眠に傾いていても脳が指令を出せなければ上手くいかぬ。ただしそれはいわゆる「不眠症」というやつなので早く病院行きましょう。そして先程述べた、肉体が寝ると主張し脳がそれにGOサインを出したとしても、精神がそれに抗うこと。これは一体何なんだ?睡眠それ自体は怠惰ではない。睡眠は人間に、いやあらゆる生き物に必要な行為である。では、何故私の精神は睡眠を怠惰とするのか?そりゃ勤務1日目明けからコートも脱がずグースカピーしていたら怠惰かもしれないが、6連勤(標準)を終えて帰ってきたときくらい、グースカピーと睡眠を貪っても良いものではないか?労働を頑張ったご褒美たる尊い睡眠に対して「惰眠」などと厭らしい名前を付けて……私の精神は、一体何がしたいんだ?

 

意識高い系vs意識低い系

私の精神は高く翔び上がろうとする。帰宅したらまず着替え、顔を洗い、洗濯をし、本を読み、ブログを書き、自分の考えを整理する。そうして正しい生活習慣へと私を導こうとする。私の精神は、私のことを有名私大卒外資系OLか何かと勘違いしている。あわよくば勤務後ジムに通い、習い事をし、美容やファッションに精を出して欲しいと望んでいる。一方で残りの二者は、私のことを正しく理解している。すなわち肉体と脳は、私がボンクラの限界フリーターであることをしっかりと分かっている。なので、それに相応しい生活習慣より上位のことは一切望まないし、望んでも無駄だと思っているのだ。三者の主人たる私は、この致命的な不調和をどうすれば良いのだろう。精神にしっかり言って聞かせるか?私は外資系OLなんかじゃない、このご時世に最も先行き不安ないちフリーターに過ぎないと。そうして精神がそのことを理解した暁には……私は怠惰の奴隷となることだろう。

 

0(:3 )〜

ところで私を怠惰の側へと引きずり込む強い力って一体何なんだろうな。まあ私の予想によれば、それはこの世のあらゆるものに対する倦厭、軽蔑、嫌悪、見限り……そういった類であろう。私は決して、この力に負けてはならない。負けたが最後、私は永久の惰眠を貪ることになろうから。

 

 

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