珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

「2020」の食レポについての覚書|「2020」は製造設備の老朽化により生産終了しました

もーういーくつねーるーと(^▽^)

確定申告

 

2020年の中に1年間もいたという実感がない

税務署から令和2年分確定申告のお知らせが届いていた。いやですね税務署さん確定申告書なら昨日食べたでしょ……と思いながら、PCに残っていた前回の確定申告書のデータを一応開いたら更新日が2020年3月11日だった。なんだろうな、2020年3月11日という日付の「これからやって来る感」が個人的にすごい。2020年の3月って、もっともっと先の日付じゃないんですか?まだまだ他人事でいられるくらいずっと後の未来じゃないんですか?2020年っていったら、車が空を飛んでいたり、ロボットが街中を闊歩していたり、ソリッドビジョンシステムが実用化されてそこらじゅうで決闘者がデュエルディスク片手に決闘しているといった、我々が「いつかは実現するかもしれないけど、まだまだ当分先だよね」と考えてきたまさにその光景が広がっているような、そんな未来ではなかったんですか?気が遠くなるほどの未来ではないけれど、油断すると一瞬意識を持って行かれそうになる程度の未来。少なくとも私にはなんの関わりもないはずの未来。それが2020年だと思っていた。ウーン、私は一体何年生まれなんだ。

 

生き残った私から死んでしまった2020年へ

バイトの休憩時間に読んでいる岩波文庫版『空想より科学へ』の表紙には「エンゲルス(1820-95)」とあるし、自宅で読んでいる同版『哲学入門』には「ヘーゲル(1770-1831)」とある。ウーン落ち着く。かの2020年は私にとってあまりにも先を行き過ぎていたというか、私が一方的に置いてけぼりを食らっていたというか。視覚的にはこのくらいの年代がちょうどいい。古すぎず、新しすぎず、きっと彼らは私の訪問を快く受け入れてくれるに違いない。その一方で、これから正の方向に向かってどんどん進んでいくような数字の鬼気迫る姿は実に恐ろしい。2020年はついこの間までまさに正の方向へ進んでいた数字なのだし。2020年当時の「2020年」には、その気になれば何十年でも突っ走って行けるような気迫があった。あたかも2020年は「2020年」のままで、この先10年も20年も進んでいくような。あの気迫に圧倒されて、私は2020年から目を逸らし、極力小さくなってやり過ごした。その結果、私は2020年という必修科目を履修し損ねた留年生のような有様になっている。まあヤツは既に老衰で死んで、私は生きているわけだけども。ヤツは1を加えられただけで死ぬし、なんなら0.00001を足されただけでも死ぬのだ。

 

2020その他の数字を試食してみた感想ですが

ところでうまく説明出来ないのだが、世に存在する数字の中には「なんとなく自分に馴染む数字」というのがあって、「2020」という数字は私にとってのそれとあまりにもかけ離れているものだから、2020はあなたが去年1年間通ってきた数字ですよと言われても、全く実感が湧かないのだ。2020という数字は、丸っこくてぐにゃぐにゃしていて、持ってみると柔らかくてブヨブヨしている、そこそこずっしりしていてすぐ下に垂れる、色は多分水色、試しに端っこを囓ってみると味も食感もひもQのソーダそのもので、口の中でうねうねする。私はこんな数字に怯えていたのか?ちなみに2021はどうかというと、こちらはなんとなくオレンジ色、というかみかん色だ。味も柑橘系の甘酸っぱさがして、すっぱいパウダーがついているみかん味のグミという感じだ。2019はアレだね、辛いチキンだね。色も味も辛いチキンそのものだ。2018は焦げ茶色、ホクホクの天津甘栗かな。甘い香りがする。

 

はてなブログくんちょっと堅すぎんよ

文字や音に色を感じたりする現象を共感覚というらしい。数学は青、理科は緑とか、そういうアレだ。私の場合、2が空色、7が黄色、8が焦げ茶色、9が赤というくらいで、他はよく分からない。4は深緑色に見えなくもない。私は食い意地が張っているので音でも文字でも大体囓ってみる。ちなみにはてなブログは、イメージカラーのせいもあるだろうが、モバイルバッテリーを囓ったような味や食感がする。私はモバイルバッテリーを囓ったことはないが、私がそう言ってるのだからそうなのだと思う。スマホに比べて分厚く、異様に冷たい。全然噛めないし実質ただの金属だ。前歯がキーンとする。色は表が黒、裏がシルバーという点でも一層モバイルバッテリーっぽい。将来食べ物に困ったときは、音や文字を食って凌いでいこうと思う。

 

 

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