珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

「『パンセ』批判」批判についての覚書|いちフリーターによるただの読書感想文

ヴォエ

ヴォルテール哲学書簡』を読んだ。前部分は実に興味深く、歴史のウンチク本感覚で楽しませて頂いたのだが、後ろ1/3ほどの文量を占める「『パンセ』批判」の箇所を読み進めるのが非常に辛かった。というのも、私は筋金入りの悲観主義者であるからして、「この世には神の恩寵とそれによる素晴らしい物事で溢れている、パスカルは世の悲惨さについて熱心に説くが、それらは全て馬鹿げている」とでも言いたげな彼のスタンスに全く同意出来ないからである。人間嫌いを批判している箇所もこたえる。何故なら私も実体としての人間、そこらでうじゃうじゃしている有象無象としての人間連中が大嫌いだからである。カッコ付きの「人間」に限ってはわりかし好きであるけどね。一方でヴォルテールは大勢の人々が和気あいあい手を取り合って生きているさまを大層好いているように見える。ヴォルテールショーペンハウアーニーチェを読ませようものなら、間違いなくその場で憤死するだろう。

 

これも神の愛!それも神の愛!全部神の愛!

この記事を書くために読み返していたらまたしんどくなったのでもう少し書かせて欲しい。この『パンセ』批判は『パンセ』の文章を70箇所あまり引用し、それに逐一批判を加えていくスタイルなのだが、ぶっちゃけ同意できた箇所が10もない。特に、キリスト教は正しく、異教は全て間違っている、なぜならキリスト教は正しいからである」といった類の主張(マジでこんな感じ)があまりにも多く、熱心に奉ずる宗教を持たない自分としては「ええ……」以外の感想がない。神の存在について積極的に考えていきたいパスカルと、神は絶対であるからしてそのような必要は全くないと考えているヴォルテールの対比も愉快である。よっぽど『パンセ』が気に食わなかったんだろうなとは思う。「正しいから、正しい」というあまりにも真っ直ぐで強引な言い分が却って微笑ましいくらいだ。キリスト教徒の筆者による他宗教批判本はいくつか読んだことがあるが、それらはきちんと「教義内容がこうこうそれそれ、歴史的に見てもあれやこれや、よってキリスト教は他より優れている」としっかり論理的に述べていたものばかりだったので、今回のようなモヤモヤはほぼなかった。「キリスト教はいかにも真であるから、あやふやな証明などは少しも要らない」という潔い文章を見て、私は脳内でヴォルテール先生をなだめることを諦めた。いかにも真であるなら、しょうがないね。

 

『パンセ』を是非読まねばという決意を抱かせてくれた点には感謝している

もうちょっとだけ続くんじゃ。この『パンセ』批判は、俗らしく例えるなら、仕事がバリバリ出来てコミュ力もあり更に実家も太い陽キャがコミュ障でインドアな冴えない陰キャを軽蔑の眼差しで眺めている場面のような居た堪れなさがある。パスカルの悲観的な見解をけちょんけちょんに批判した上で、「パリやロンドンの都市では人が大勢楽しげに暮らしていて幸福で満たされている」とか「外へ気晴らしや仕事を求めることは我々の幸福である」とか「未来への希望は人間の宝」とか「人間同士の永遠の絆」とかいうことを平気でおっしゃる。グエーッやめろ!それは私に効く!人生が上手く進んでいて沢山の楽しいことに囲まれて過ごしている人間の言葉そのものじゃないか!やめろ!やめろ!お前は人生が上手く進んでなくて沢山の辛いことに囲まれて過ごしている人間の気持ちを1ミリも知らないからそんな惨いことが平気で言えるんだ!またそれに飽き足らず、「愉快なものに囲まれている人間が虚しさを感じるはずもない」的な主張もムカつくぜ!さては、満たされるほどに不足していくような種類の人間に出会ったことがないな?貴方が貧民の味方でもなければ、貴族の味方でもないということがよーくわかった!パリピに対する嫉妬?バリキャリに対する逆恨み?ちげえよ!いやもうそれでいいよ!ああそうさ嫉妬と逆恨みさ!それ見ろ持病の発作が壁の向こうからスキップしながらやってきた!誰でもいいから今すぐ私の元にショーペンハウアー『自殺について』を持ってきてくれ!1秒でも早くあれを吸わせてくれ!幸福と希望と神の愛と人間愛の過剰摂取で気が狂いそうだ!

 

20年経ってもまだ頭にこびりついている絵本

ウウ。読書でここまで精神をやられたのは初めてだ。小学生の頃、図書室で「わたしのいもうと」という絵本を読んだときと同様の、あるいはそれ以上の衝撃があった。そして、価値観が相容れぬ者同士の考えを戦わせることほど不毛なものもないなと思った。米派とパン派を戦わせて勝者を決する試みくらい不毛だと思った。それでも、米派とパン派がお互い尤もらしい主張をやいのやいのとぶつけている姿は、暇を持て余している通りすがりの観衆にとってはちょうどよい娯楽になるのだ。人はいつも、米とパンはどちらが優れているかとか、りんごとみかんはどちらが偉いかとか、丸と三角と四角の中で最も真実に近い図形はどれかとか、そんなことばかりを言っているね。不毛なものにも意味はあるなどと尤もらしいことを言って、0に大きな数字をなんべんもなんべんも乗じながら、いつか0より大きくなるその日を待ち望んだりとか、そんなことばかりをやっているね。申し訳程度にフォローを入れておくが、冒頭でも述べたとおり前半の西洋史エッセイ的な箇所、さまざまな宗派やイギリス・フランスの偉人たちに関する部分はめっちゃ面白かった。オチは、特にないです。

 

 

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