ぷりぷりのプリンについての覚書|そんなことよりプリン食おうよ
「許すよ」一個に含まれる『許すよ』の量は「許すよ」一個分だぜ
状況によっちゃあ、許されないことよりも許されることの方が遥かに恐ろしかったりするもんだ。怒られることよりも怒られないことの方が格段におっかなかったりするもんだ。許さない人より許す人の方がより一段と許していないように見えたり、怒る人よりも怒らない人の方がより一段と怒っているように見えること、ありますあります。「許すよ」「怒ってないよ」という台詞以上に人の肝を冷やす言葉が、果たしてこの世に存在するだろうか?相手の「許すよ」に含まれている『許すよ』の量や「怒ってないよ」に含まれている『怒ってないよ』の量について、我々はただただ推考することしか出来ない。例えば「おっきいプリンあるよ」と人に言われたとき、それがBigプッチンプリン(160g)なのか、Happyプッチンプリン(380g)なのか、バケツプリン(1kg)なのか、超ギガプリン3.0(約3kg)なのかは、実際に相手が用意したおっきいプリンを見せてもらわないことには分からないのだ。
ぷりぷりん
説明しよう!超ギガプリン3.0とはかつてタカラトミーアーツから販売されていた、通常のプリンの大きさの約30倍のプリンを作ることが出来る夢のようなおもちゃ(税込4298円)のことである!
聴く麻薬『超ギガプリン3.0の歌』もどうぞ。中毒になること間違いなし。
怒りの状態を表す言葉とかずのこの食感を表す言葉は同じ
より多く許す人やより多く怒らない人が時折恐ろしく見えるのは、彼らがその”より多い”分だけ我々からより超越しているように思われるからだ。「非常に寛容な人はただ優しいのではなく他人に何も期待していないだけ」といった類の意見をたまに見かけるが、全部が全部そうとは限らないとしても、全部が全部そうでないなどということはありえないだろう。めちゃくちゃまどろっこしい日本語を使ってしまった。つまり、100%ではないだろうが、0%でもないだろうということだ。我々が普段口では「怒ってないよ」と言いつつ心の中ではなんやかんや言っているのと違って、口で「怒ってないよ」と言い、心の中でも怒ってない。マジで怒ってない。言動と本心が一致している人はいつだって強い。彼らは我々を超越して、一体何に近づいているのだろう。神に?それとも無に?どちらでも同じことか。
ぷりん
セブンイレブンの「きみだけのプリン」っておいしいのかな?ふと気づいたが自分の金でプリンを食べたことがない。もらいプリンしかしたことない。誕生日にバイト先の子からもらった「メイトーのなめらかプリン」はハチャメチャにおいしかった。コンビニで売ってる、小さくてクリーム色と青のパッケージのやつ。食べている間ずっと卵の黄身に掴まって牛乳の中で泳いでいる気分だった。でもやっぱりあれだな、スーパーで3個入り98円くらいのおもちゃみたいなプリンが1番好きだ。ぶっちゃけあれはプリンというよりもプリン味のゼリーと言ったほうが正しいと思う。だがそれがいいんだ。上等なプリンを口にしたときの、血糖値のライブ会場みたいな甘さや、乳牛1頭まるまる使ってそうな牛乳の暴力や、zip圧縮ファイルを解凍したら中から数ギガバイトの新鮮な卵が出てきたようなあの感じ、ちょっと私には贅沢すぎるね。