下書きの晒し首と上書きの言葉遊びについての覚書|生者に供養を試みること
生きていたり死んでいたりしろ
下書きの「供養」というからには、その下書きはかつて生きていたものであり、かつて死んだものでなければならない。なんか違うな。かつて生きていたものであり、今は死んでいるものでなければならない。ウム。こうしよう。死んだ下書き。死んでいる下書き。diedとdeadみたいなものだな。知らんけど。「生きていた下書き」と対比させたいのなら、状態を表す「死んでいる下書き」の方がいくぶんか適切だろう。生きて いた ことは永遠の過去で、死んで いる ことは永遠の現在なのだ。生は永遠の過去であることが出来るが、死にはそれが出来ない。死んだものは生き返らないから。死は永遠の現在であることが出来るが、生にはそれが出来ない。生きているものは必ず死ぬから。
まだ自分が生きてるうちから「下書きの供養しちゃおっかな~」とか言われる下書きさんの気持ち
私も過去に「下書きの供養」と称して没にした文章をかき集めた記事を作ったことがある。というかついこの前作った。
ひとつまえのやつ
案の定「下書きの供養」「文章の供養」という文言を使ってるな。「下書きの供養」ってのは、なんだかそれらしくて、使い勝手のよい言葉だ。ところで下書きを”供養”するからには、当然、 下書きが死んでいる 必要がある。
く‐よう〔‐ヤウ〕【供養】
そんでもって下書きを供養するための事前の段取り(?)だが、
↓
清書する←下書きは死んだ
↓
清書が存在する←下書きは死んでいる
こんな具合でよかろう。仮に下書きというものが紙媒体などで物理的に残っていようと、清書が生まれたことで別途保存しておく必要がなくなったのならそれはもう死んでいると言ってもよい。ブログ上のデータなども同様に。まあなんだ、結局のところ、我々は供養したいがために殺すんだ。下書きを。もしも私が「白黒さんの供養がしたいので白黒さんをころころしていいですか」って言われたらエエッ!?ってなっちゃうけど、下書きは「下書きさんの供養がしたいので下書きさんをころころしていいですか」って言われてOK出しちゃうんだ。懐が広いなあ。
清書になっても下書きの屍はまだそこにあると思っているタイプ
ところで、ブロガーが「下書きの供養」と称して文章を公開するとき、あたかも書き散らしたネタ帳をページごとスキャンしてまるっとそのまま掲載するような、文字通りの”下書き公開”ではなく、何かしらの加筆修正や体裁の整頓を行ってから公開するわけだから、そこには「死んでいる下書き」と 全く同一の 性質を持った「生きている清書」が同時に存在する。で、我々が記事の公開ボタンをポチッと押すとき、果たして下書きの死を悼みながら文章を公開しているのか?それとも清書の誕生を祝いながら文章を公開しているのか?少なくとも私はブログ記事を公開するために喪服を着た記憶はない。供養と言いつつ、供養なんてちっともやってない。没にした文章を記事に出来たぞヤッター!と完全にお祝いムードである。これはもう「下書きの供養」というよりも「下書きの晒し首」と呼んだ方がいいのかもしれない。だって死んでいる下書きを衆人環視のもとに晒しておくわけでしょう。「死んでいる下書き」は「生きている清書」と表裏一体なので、ステージの表側で清書が華々しくお立ち台に上っているまさにその時、裏側では下書きの首が粛々と晒し台に上るわけだ。ところが、どちらの側からショーを見に行ったとしても、目に映るものは全く一緒なのだ。不思議だね。
※おまけ 何ひとつ補足になってない補足
「ABC」と書かれた下書きがある。この下書きを「供養」しようとして、でもこのままじゃちょっと公開できないってんで、「ABCD」と書き加えて体裁を整え、記事として公開した。「D」を書き加えてそれを清書とした時点で清書が生まれ、下書きは死んだ。「ABCD」が清書として存在し続けているとき、清書は生きており、下書きは死んでいる。「ABCD」は生きている清書の瑞々しい肉体であり、また同時に、死んでいる下書きの干からびた屍体である。清書は生きているから現在であり、下書きは死んでいるから永遠の現在である。もしこの記事を後で見返したときに気に食わない点があって下書きに戻したとしても、かつて「ABC」であった下書きはすでに死んでいるので生き返らない(その際に「D」をきれいさっぱり消したなら辛うじて息を吹き返すかもしれない)。代わりに「ABCD」という下書きが生まれた。もちろん、下書きに戻されたことで清書は死んだ。チーン。おしまい。
数えたら下書きが58個あった
私にしては珍しく、過去記事貼り付け、引用、囲み枠、小文字のおまけと、複数の賑やかし要素を盛り込めたので実に満足だ。よくわからないことも、いっぱい書けたしな。ブロガーの皆さん、今日も元気に下書きを煮たり焼いたり切ったりしてまいりましょう。