偶然見つけたアフィリエイト記事をわりと真面目に採点してみる覚書|2点
つよい
「【おすすめ】社会不適合者が向いてる仕事50選!」という記事タイトルのパワーに圧倒されて死んだ。敢えてリンクは貼らないが、この文章そのままコピペしてググればその記事が出てくるんじゃないかと思う。さすがに字面のパワーがつよつよすぎないだろうか。私のように、タイトルを見ただけで壁の向こうまで吹き飛ばされて死んでしまうものが他にも出やしないだろうか。記事本文中でも「そこのあなた」「よいこのみんな」みたいな感覚で「社会不適合者」を連呼しているところにもつよさを感じた。タイトルは興味を引いてナンボなのでまあいいとして、そこはもっとこう、オブラートに……オブラートに包んで、いや、オブラートに包んだところで、なんの意味があるんだろうな。ウン。きっとこれでいいんだ。
白黒ペン先生
更に余計なツッコミを入れさせてもらうならば、「向いてる」というのは話し言葉やフランクな文章では別に構わないだろうが、曲がりなりにも一本の記事、それもタイトルに掲げるのであれば「向いて い る」と書くべきではなかろうか。こういうのを”い”抜き言葉と呼ぶとかなんたらかんたら。ちなみに本文中には”ら”抜き言葉もちらほらあったが、最近は”ら”抜きでも別によくねみたいな流れがどっかのえらいとこにあるらしい(ふんわり)ので、そこは放っておいていいだろう。そんでもって文法的な正誤はよく分からんが、書き言葉であれば、「あなたが向いている」より「あなた に 向いている」の方がしっくりくるような。思うに、この書き手はあんまり向いていなかったのかもしれないな。
学問やるのに社交性は不要だと本気で考えているのならその考え自体が社交性の欠如から来ているんだと思うよ
肝心の内容についてだが……ウン、書き手はこの50選の仕事のうち、1つしか経験したことがないんだろうなと思った。全ての仕事に対して、メリットの中でも更に楽チンな側面ばかり抜き出して、しかも「~と思います」だの「~はずです」だの「~らしいです」だの、もう少し調べて自信持って書こうやと言いたくなる文章で以てその紹介としている。「大学教授」「研究者」というものをその50選に組み込んでいるところも笑った。大学の適職診断かよ。あのね、未だに学問する者が他者との関係を一切絶ってマッドサイエンティストよろしく机に向かってひたすら学問していればいいと考えているのなら、恐らくこの書き手は学問が上流階級や金持ちの特権だった時代に生きていたのでしょう。こういう記事にそそのかされた人たちが、変に希望を持って働き出すから、余計に傷が深くなるんですよ。私がこの手の記事を嫌っているのは、書き手に「読んだ人間の生活をよい方向に変えてやろう」という気概が全くなく(まあそれもそうだ)、書いて公開したらトンズラするばかりで(まあそれもそうだ)、そこに責任の残り香すら残さないからである(まあそれもそうだ)といった旨を、だいぶ前に書いた覚えがある。ああ、50選のうちで書き手が経験したであろう1つの仕事ってのは、「アフィリエイター」です。
原文ママの破壊力
ハァハァ。私は決して怒っているわけではない。怒っていない。なぜならこの手の記事は概して そういうもの だからだ。「貧しい人々のために募金をお願いします」と言っている人が集めた金を自分の懐に入れていたらそりゃ非難轟々だろうが、「僕のために募金をお願いします」と言っている人が集めた金を自分の懐に入れたところでウン、まあ、あわよくば社会活動にでも使って欲しかったけど、やっぱり自分で使っちゃうんだねえ……みたいな気分にしかならないだろうから。そういやあ、街頭なんかで不特定多数にお金をたかるのが法律で禁止されてるってことを最近知った。軽犯罪法で、乞食行為とかなんとか。托鉢の人たちは黙ってるからセーフなのかな。じゃあ、Twitterで「#お金ください(原文ママ)」ってハッシュタグ使ってお金ください(原文ママ)って言ってる人結構いるけど、ああいうのはどうなんだろう。
とはいえ書き手自身さほど興味もないであろう分野の文章をあれだけ量産できるのは立派な才能だと思うしこれぞ社会人スキルって感じがしてある意味尊敬する
こんな辺境のブログで相手方のリンクも貼らずに安全圏からキーキー喚いている時点で私も小物の域を出ない。この記事の話を導入に何かを書こうとしていたのだが、導入だけでいっぱいになってしまった上に何を書こうとしていたのか忘れてしまった。ウーン。あそこにある文章それ自体は、決して悪というわけではない。もちろん単語も文字も悪ではない。書いている人間も、少々ぽんこつなだけで悪ではないだろう。書かれている内容も別に悪ではない。仮にこの記事を鵜呑みにして裸一貫から大学教授を目指し始めた社会不……者がいたとしても、彼だって別に悪ではない。アフィリエイトだってそれ自体は全然悪ではない。じゃあ、あの記事からにじみ出る不穏な粘っこさは一体なんなのだろう。拙いなりにぼちぼちの文量はあったが、あれを書くことで書き手には一文の得(アフィリエイト的な意味で)程度はあったのだろうか。私という読み手には一文の得(ライフハック的な意味で)もなかったけどな。あったのは数十文の損(文章量的な意味で)だけだ。おやおや白黒さんや、最後のそれは自己紹介ですかな。