珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

コンビニとコンビになれない覚書|歳を重ねても自分の納得に対する態度が極端に軟化したり硬化することのない安定した人間になりたい

本日のお悩み相談

ファミマで買い物をして店を出るタイミングでよく音楽アプリがバグったりスマホの電源が落ちます。どうすればいいですか?

 

義務教育が可哀そう

おっと、容易には説明のつかない出来事の前にそれらしい御託を並べ立てて無理やり自分を納得させることは得意だぞ。履歴書に書いてもいいくらい得意中の得意だぞ。というかそれくらいしか得意なことがないぞ。義務教育で学んだことが生きるのは、まさにこの作業においてである。言葉や文脈で誤魔化したり、無理やり数合わせをしたり、人体構造のせいにしたり、社会に擦り付けたり、家でグツグツ煮込んでみたり、めちゃくちゃにコラージュしたり、力ずくで綜合したり、道徳と倫理でぶん殴ってみたり、フィジカルでぶん殴ってみたり、リコーダーでぶん殴ってみたり、そんなことをしながら、日々自分を納得させている。この作業をやっているときが、最も義務教育をフル活用している時間なんだろう。

 

終わりはいつも納得

身も蓋もないことを言えば、ほら、人って概ね自分の納得で出来てるでしょう。たとえその人が何かに納得していないとしても、自身が納得していないということそれ自体には納得しているでしょう。自分の納得は人の定項だ。人がどんなに自分の納得に抗おうとしても、最後は必ず「……に納得している」で〆られるわけだ。「自身が納得していないことに納得している」「自身が納得していないことに納得していないことに納得している」「自身が納得してないことに納得していないことに納得していないことに納得している」、以下無限に続く。「納得」は基本的に他人や他人の考えに対して使う言葉だが、〆の納得だけは自分自身に向かう。そこでは唯一自分自身が他人になる。もしもこの世に、「……に納得していない」で〆られる人間がいるならば、是非そのやり方を教えて欲しい。

 

走れど走れど納得に追いつかないとき人はおかしくなっちまうんだ

「自身が納得していないことに納得していないことに納得してないことに……」がいくら続こうが、最終的には「……に納得している」に終着すると相場が決まっているので、普通に暮らしてる限りは特に心配することはない。しかし、この「自身が納得していないことに納得していないことに納得してないことに……」があまりにも続きすぎると、すなわち終着点=他人たる自分自身がいつまで経っても見えてこないとなると、雲行きがだんだん怪しくなるので注意が必要だ。人が「納得していない」に割ける精神的リソースなんてそう多くはない。あまりに長く「納得していない」ままだと、ええ、ええと、ああそうそう、具合がおかしくなるんだ(ふんわり)。自分は、いつか他人にならなくちゃいけない。ずっと自分のままではいられない。

 

好きだよファミマって言いながらしょっちゅうローソンで買い物したりセブンでバイトしてるのがいかんのか

私はファミリーマートのことが好きだが、ファミリーマートは私のことが好きではないらしい。なんでやねん。ファミマアプリはDLしてるし、ファミペイも使ってるし、ファミマのTwitterアカウントもフォローしてるし、キャンペーン情報とかこまめにチェックしてるし、週3で買い物しに通ってるし、週7で一服しに通ってるぞ。あと、「あなたとコンビに、ファミリーマートっていうコピーは好きな企業キャッチコピーの5本の指に入ってるんだぞ。あとの4本は忘れた。いずれ考えます。制服も、汚れが目立たなさそうでいいなあっていつも思ってるぞ。20日からたまご蒸しパンのセール+ファミペイボーナス付与が始まるのもちゃんと知ってるし、楽しみにしてるんだぞ。こんなに愛してるのに、そのお返しがアプリをおかしくしたりスマホの電源を落とすことなんて。まったく猫みたいな性格のコンビニだな。いつか猫買ったらファミマって名前つけてやるんだからな。

 

 

f:id:shirokuro_044:20210718060503p:plain