珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

そういえば社長だった覚書|社長(フリーター)

白黒れむ28歳、社長です

そういや一時期、社長だった頃がある。というか、下手すると今も社長なのかもしれない。詳しい話はさっぱり覚えていないのだが、今の夜勤バイトを始める前、父曰く、保険料だか税金だか知らないが、とにかくそれらに関わる届出上の家族関係がたいへんややこしくなった結果、父個人でやっている介護タクシー事業の社長に私を据えることで一応上手くいったらしい。なんだそれ。この話を聞いたときは流石に大笑いした。知らぬ間に随分と出世したものだ。いやでもせめて事前に許可くらい取ってくれ。それで、父が介護タクシーとして使っているデカい車は一応私の所有物にあたるらしい。仕事を辞めたらこの車はあげるから好きにしてくれとも言われた。ウーン、免許持ってないしこの先も特に取るつもりはないので、即売り払うことになるのかなあ。それなら最初から親父の老後の生活資金にでもしてほしいのだが。私なんかに車を与えたところで、私の老後の生活資金にしかならないぞ。

 

比較三原則

ハァ。社長になりたい。こんな形すらない幽霊社長ではなく、名実ともに本物の社長になりたい。社長には社長なりの気苦労があるだろうが、それは貧乏人に向かって「金持ちには金持ちなりの苦労があるんだよ」と説くくらい虚しい。だいいち、苦労の土俵が違いすぎる。着るもの、食べるもの、住むところに関する苦労と、社会的地位、権力、責任、外聞、そういったものに関する苦労とを同じ位置に並べて比較するなんてあまりにもナンセンスだ。どちらが辛いとかどちらが深刻とかそういう問題ではない。あの事件の被害者とこの事件の被害者、どちらの方がより辛いか正々堂々勝負させましょう、なんて畜生そうそういるまい。全くいないとは言わないが。今の世の中、その道の玄人ですらいとも容易くその扱いに失敗するんだから、比較は素人如きがホイホイ手を出していい代物ではない。しかし素人がホイホイ手を出しやすいのもまた、かの比較なのである。

 

どすこい

同じ土俵で戦わせてもよいものとよくないものの分別をわきまえている人は、平和について賢い人だ。何かと何かを戦わせること自体が悪いわけではない。戦わせてはいけないものを同じ土俵の上において、それをやんややんやと囃し立てるような人間が悪い。また、このように言うこともできるだろう。ありとあらゆるものが同じ土俵の上に立ち並び、それでいて戦わないこと、これこそまさに平和なのだとのたまう人は、決して悪い人間ではないのだが、平和についてあまり賢い人ではなさそうだ。何かと何かは同じ土俵の上で戦ってもよい。それが同じ土俵で戦わせてもよいものである限り。何かと何かは同じ土俵の上に立たなくともよい。それが同じ土俵で戦わせるとよくないものであるならば。

 

コンビニ各社のカレーパン小さくなりすぎでは???

社長の話。社長の話ね。私が社長になるんならやっぱり、社長の、社長による、社長のための会社を作りたいね。私にできるのはせいぜい自分を経営することくらいだろうし、自分だけで自分だけを経営している間なら、赤字なんて大した脅威にもならない。借金も自由、破産も自由だ。私が経営している私に、他者が入り込む余地などないのだ。もう少し現実に寄せて語るなら、ウーン、やっぱりパン屋だな、パン屋。惣菜パンを超えた弁当パンを目指すぞ。クロワッサンとかデニッシュとかそんなお上品なパンはひとつも置いてやらん。そこにあるのは「ワンハンドで食べられる弁当」だけだ。もう昼飯にパンを2個選ばなくて済むくらいの。ひとつのパンの中に卵焼きときんぴらごぼうとウインナーとナポリタンとポテトサラダを詰めてやる。これらの具材は謎技術で超圧縮して、片手で食べても端からぽろぽろ落ちてこないようキューブ状、もしくはスティック状に固めてやる。少し前にセブンで異なる具材を2種類詰め込んだボリューミーな惣菜パンを売っていた記憶があるが、あれは実によかった。けどまだまだ生ぬるい。パンでも弁当に勝てるってところを見せてやろう。パン旗を翻せ。ごはんが御飯ならパンも御パンって言え。

 

お気に入りのパン

セブン→タルタルフィッシュバーガー、もちもちお好み焼きパン、ぷちもちチョコ

ファミマ→チーズ塩パン、ひと口もち食感チーズ、プリンみたいなパンケーキ、いちごモッチ

ローソン→めんたいフランス

 

 

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