大人らしく大人しくない大人たちのおやすみについての覚書|まずは動物と子供に弟子入りするところから
眠れないときにすること
眠る努力
眠れないときにすること
オーケーわかったせめて眠れない日の翌朝が仕事か仕事じゃないかを教えてくれ
眠れないときにすること
ひょっとしてなにかをしようとしているんですか?
眠れないときにすること
こんなときにさえ我々に「なにもしない」という選択肢がないの辛すぎる
動物はだいたいいつも落ち着いているように見える
「眠れないとき、どうしてる?」と訊かれて「どうもしてないよ」と返せる人間になりたい。眠れないときにどうもしないのは存外難しい。眠れないとき、人は、たとえ立派な大人であっても、あれをやってみた次の瞬間にはこれをやってみたり、あれを手に取った次の瞬間にはこれを手に取ってみたり、まるで見慣れぬおもちゃに囲まれた子供のように、あれもこれもと忙しない。眠れない人間の落ち着きのなさはすごいぞぉ。ストレッチをしてみたり、布団に潜ってみたり、牛乳を温めて飲んでみたり、布団に潜ってみたり、難しい本を読んでみたり、布団に潜ってみたり、睡眠導入音楽を聴いてみたり、布団に潜ってみたり、退屈な番組を眺めてみたり、布団に潜ってみたり、とにかく落ち着きがなく、そんな落ち着きがないから眠れるものも眠れないんでしょって、飼っているペットたちの冷たい視線をものともせず、なにかすることに勤しんでいる。もちろん、ただベッドにじっとしていて1時間後にやっとこさ寝付くよりも、落ち着きなく動き回って30分後に寝こける方が賢いといえば賢いのかもしれない。でもやっぱり動物たちは、「眠れないと言いながら起き上がってなんやかんややり始める人間」を奇異の目で見ているのかもしれない。そこが、人間と動物ちゃんの違いなのかもしれない。
どう考えても大人の方が落ち着きがない
幼稚園や保育園におけるお昼寝の光景を見ていると、未だに不思議な気分になる。だって、「眠れないなあ、どうしようか」といってストレッチを始めたり牛乳を温めて飲み始めたり難しい本を読み始める子供はいないんだもの。そりゃあ言うことを聞かずにお昼寝の時間になってもドタバタ遊んでいる子供は一定数いるだろうが、それでも多くの子供が、「眠るためになにかをしよう」などと考えることなく、落ち着いて、睡眠に勤しんでいる。大人はあの落ち着きを見習うべきだ。ああ、ええ。分かっていますよ。あの落ち着きを見習いたくとも見習えないのが大人ですよね。分かっていますよ。大人になるにつれ、頭の中が常に「なにかをする」でいっぱいになるの。「なにもしない」という選択肢でさえ、「『なにもしない』をする」に昇華されるの。ほんと、やんなっちゃうよ。
たぶんおやつのこと考えてる
ちなみに、私はというとお昼寝の時間になればおとなしく布団に入りはするもののその後は天井や先生の背中をずっと眺めて過ごしていた。あんまりお昼寝しない子供だった。ときどき寝返りを打って、早く退屈なお昼寝の時間が終わらないかなあと思っていた。多分お昼寝したら負けだと思っていた。隣の布団で友達がぐっすり寝ているのが不思議だった。物静かながらも至ってフツーの子供らしい子供だったが、落ち着きのなさでいえばちょっぴり大人だったのだ。あの時の自分が天井や先生の背中を眺めながら具体的になにを考えていたのか、大枚叩いてでも知りたい。4、5歳の子供が天井や先生の背中をぼんやり眺めているとき、一体なにを考えているの。
いつか平等に訪れる眠り
我々が正真正銘本物の「なにもしない」に成功したとき、そのときの我々はきっとぐっすり眠っていることだろう。もうそこではストレッチなんかやらなくていいし、温かい牛乳も飲まなくていいし、難しい本だって読まなくていい。頭と体がふわふわする不思議な飲み物に手を伸ばさなくてもいいし、お医者さんがくれる特別なフリスクに頼らなくてもいい。仕事のことも、学校のことも、なにも心配しなくていい。今日の晩ごはんのことも、明日の朝ごはんのことも、なにも考えなくていい。そのときが来たら、なにもせず、なにも考えず、ぐっすり眠ろう。