珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

思索の山から転がり落ちたものたちの覚書~その6~|へんぺんころりんすっとんとん

中身おまかせ訳ありお得セットを買ってみたけど実際届いて開けてみたら言うほどお得でもなかったときのような記事です

海から零れ落ちるのがそろそろ恥ずかしくなってきたので第6回目からは山から転がり落ちることにしました。やることは今までと何も変わりません。

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

 

「粗雑に作られた正規のブランド品」の正規品みたいなもんですね。なんじゃそりゃ。つまり、本物のルイ・ヴィトンが作った「本物のルイ・ヴィトンが粗雑に作ったバッグ」という型紙を元に本物のルイ・ヴィトンがバッグを作ったんですよ。もうワケわからん。そんなら最初から「本物のルイ・ヴィトンが粗雑に作ったバッグ」だけでいいやんけ。イヤイヤそれだと出来のいい出来の悪いバッグじゃん。イヤイヤそもそも出来のいい出来の悪いバッグってそれただの出来の悪いバッグじゃん。それと同様に出来の悪い出来のいいバッグもただの出来の悪いバッグじゃん。イヤイヤでも偽物と偽物の本物って違うじゃん。……違うの?

この人頭悪そう

 

安いトイレットペーパーの切れ端ぽろぽろ問題

アレマジでどうにかならんか。バイト先のトイレットペーパーの切れ端がぽろぽろなんのがウザすぎる。コンビニの方ではない。コンビニの方は全然ぽろぽろしない。あれは実にいいトイレットペーパーだ。だがもう一方のバイト先では新しいトイレットペーパーを卸すときに必ずといっていいほど切れ端がぽろぽろする。以前は面倒くさがって落ちた切れ端も放置していたが最近は心を入れ替えたので落ちた切れ端はどんなに小さくてもきちんと拾って捨てるか流すかするようにしている。ハァー。落ちた切れ端を律儀につまんで拾い上げるたびに自分の心が入れ替わったことを実感するし、心を入れ替えないと落ちたトイレットペーパーの切れ端も始末することができない自分の出来の悪さにうんざりする。

 

長田新編『原爆の子 広島の少年少女のうったえ』を読んでいる。子どもの手になる被爆体験記をまとめた書籍である。その中でときどき、いやしばしば、いやそれなりに、大人顔負けの文章を書く子どもがいる。といっても、子どもによる、子どもならではの、子どもの感性に依らでは書けないような文章、言うなれば「子ども特有の才能による文」といった類の文章ではなくて、文字通り、大人による、大人ならではの、大人の感性に寄らでは書けないような文章を書く子どもがいる。それが彼ら本来の文才に依るものなのか、それとも戦争がそうさせたのか、私には判断がつかない。

憎むべきものが子どもを大人にするようなことがあってはいけないね

 

白黒式労働語録

・客を見たらクレーマーと思え

・労働は健康に悪い

・どうして労働って合法なんですか?

・敵に労働を送る

・動物の赤ちゃんは20年後天国に行く、人間の赤ちゃんは20年後労働に行く

こんだけボロカス言っといてまだ何か続けて書こうとしている「・」がウケる。この人労働に向いてないんじゃないですか?

 

それと、お残しされたホカホカの白米ってどの時点で残飯になるんでしょうか?誰も箸をつけず常温放置されて冷え冷えになったら残飯?でもそこから慌ててラップをかけて冷蔵庫に移したらまだ残飯じゃない?冷蔵庫で厳重に保管されてようが人が食うのを躊躇う状態なら残飯?ゴミ箱に放り込まれて初めて食える食えないを問わず残飯?ウーン。

残飯の概念ってあんまり考えたことがなかった。我が家では「残飯」なるものとはとんと縁がない。料理しないし。料理しなきゃ、残飯も出ようがない。既製品の賞味期限を切らすことはよくあるが、1日2日の期限に頓着する性分でもないので、気にせず口に放り込んで終わり。基本的には食うだけのものを、食うときに買って、それで終い。最後に悪くなった食べ物をゴミ箱に捨てるという行為をしたのはいつだったか?こう書くと何やらリッパなように思えるが、料理しないだけだから。繰り返すが、料理しなきゃ、残飯も出ようがない。この論理は、色々な方面に活用出来そうだね。

 

闇落ちしたパン屋さんに言わせたい台詞「餅は餅屋、パンはパン屋、スーパーは黙ってスーパーでも売ってろ」

スーパーのパン売り場に委託してあるパン屋さんの雑穀パン好き 

 

オリーブオイルを生地に練りこんだパンならスーパーでも見かけるけどオリーブの実そのものを詰め込んだパンってあんなにウマいんですね~~~あ~~~またオリーブブーム再来するじゃん~~~5年くらい前にオリーブにハマってアホみたいにカルディ通ってた頃を思い出すじゃん~~~~

真っ黒いオリーブくんすき