珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

みんな味方でみんな敵、それ以外なにもわからない覚書|頭痛は間違いなく敵

バランス感覚に優れた生き物

人間って変なところでうまいことできてるな。同僚にイライラしているときは客に対して妙に優しくなれるし、客にイライラしているときは同僚に対して妙に優しくなれる。見知った人間にイライラしているときは赤の他人に対して妙に優しくなれるし、赤の他人にイライラしているときは見知った人間に対して妙に優しくなれる。私は自分のことを上っ面の愛想ばかり立派でぜんぜん優しくない人間だと思っていたが、思いのほかそうでもないらしい。とはいえ私はできた人間ではないので、誰に対しても優しいわけではない。甲に対して優しさを消費すればそのぶん乙に消費できる優しさが減るし、乙に対して優しさを消費すればそのぶん乙に消費できる優しさが減る。優しさの上限が決まっている。自分の中で1日に消費しなければならない優しさのノルマがあるような感じ。

 

きたない

自分はどうも、天秤のどちらかに優しさを乗せておかないと堪らなくなるタチらしい。甲の敵に回るならば乙にべったり優しくして、乙の敵に回るならば甲にべったり優しくしなければ不安になる性分らしい。甲乙両方敵に回すのが恐ろしいらしい。かといって甲乙両方の味方になることもできないらしい。しかしながらこの場合の「敵に回る」と「べったり優しくする」の違いは、本当にその場限りの、明日には消え失せているような、まったく意味のない、見かけばかりの、子どもの言葉遊び程度のものなのだ。例をあげるならば、そうだなあ、うんこを敵に回してうんちに優しくすると宣っているようなものなのだ。結局一緒なのだ。敵も味方も名前がちょっと違うだけで、結局私にとってはまったく区別のない存在なのだ。それなのに、今日はうんこに優しくする、その次の今日はうんちに優しくするなどと言って、そこになんの違いもない2者の間を転げまわって……はあ。私は一体なにがしたいんだ?

 

このあたりでIQをさげておく

うんち

 

敵味方なんていう概念があるから争いが生まれるんだなんてそれらしいこと言ってありとあらゆる敵味方から目を逸らしてきた結果がこれだよ

IQが下がったので安心して話をしよう。わあい。四方八方人間だらけの環境で生きていながら、どの方面の人間に向かってものらりくらりとやってきたせいで、どこに敵を作ればいいのか、どこに味方を求めればいいのか分からなくなってきた。いや、敵なんて作らないに越したことはないのだが。だが、私はいざ「敵を作りなさい」と言われたときにさえ、そうすることができないのだろう。敵ってなんだ?味方も分からないのに。味方じゃない人たちが敵なのか?じゃあ味方って誰だ?私の味方って?私ちゃんはこれまで誰にも味方してこなかったのに、今頃になって味方を求めようったって、いくらなんでも虫が良すぎるでしょう。敵も然りよ。未だにブログでうんことかうんちとか言っちゃう28歳だけど、流石にそれくらいの分別はついているつもりだ。

 

最後にもうちょっとIQをさげておく

やっぱりポケモン買うべきだよ私は 自分で捕まえたポケモンはみんな味方だもの

 

 

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