珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

私のダイソーvs彼らのダイソーについての覚書|はてブロ敢えて丁寧に暮らさない部

本日の議題

どうして人は暮らしをがんばるのだろう

 

それをはてなブログで言っちゃうの

ここ最近になって急に自室の内装に凝りはじめた身でこんなことを言うのもアレだが、「暮らしを整える」とか「丁寧な暮らし」のようなフレーズがぶっちゃけあんまり好きじゃない。ああ言ってしまった。今この瞬間世界中で7000億人くらいを敵に回した気がする。こういうフレーズを掲げたブログは世に腐るほどありそうだし、数あるブログサービスの中でもとりわけはてなブログはそういうジャンルに強いサービスじゃないですか。これは完全に私の偏見なんですけど。ああ待って待って、別に喧嘩を売りたいわけじゃないので、どうかその構えた無印良品を鞘に納めてほしい。無印良品で斬りかかられたら流石の私も無傷じゃ済まない。ほらほら懐に忍ばせたIKEAもしまって。ニトリにかけた指も放して。あとポケットにセリア入ってるでしょ。セリアもだめです。ダイソー?ウーン、ダイソーくらいなら私も持ってるし……あーやっぱりだめです。たとえダイソーダイソーの一騎打ちであろうとも、私の練度じゃ彼らに勝てない。

 

なんの話をしているんだ

同じダイソー使いであっても、私と彼らではまるで練度が違うのだ。例えるならおもちゃの剣で鷹の目のミホークに挑むようなものだ。なんせ彼らは暮らしにかけては王下七武海なんだから。あれ七武海って解散したんでしたっけ?ワンピースどこまで読んだか全然覚えてないな。ルフィたちが散り散りばらばらになる辺りまでは読んだ。それきりだ。私の中ではまだ麦わらの一味が再会できてないの悲しい。彼らは私の知らないところで再会したのかもしれないけど。彼らは2年後に会おうと言って、私は会いに行かなかったから。私が彼らに会いに行かない限り、止まってしまったページをめくらない限り、私の中の麦わらの一味は永久に再会できないんでしょうね。SCPっぽい。

 

スタンド名「ア・ハンドレッド・エン・ストア」

ええとそれで、なんの話だったか。そうそう私のダイソーで彼らのダイソーに立ち向かっても勝てないという話だった。彼らはちょっと、ダイソーで暮らしをよくするのが上手すぎるね。もちろん無印良品もそうだし、IKEAもそうだし、ニトリも、セリアもそう。私はダイソーの商品を商品名の通りに使ってやるのが関の山だが、彼らは違う。なんか……なんか全然違うものになってる。ウン。魔改造とかそんなんじゃなしに、なんかもう、全然別のものにしちゃうでしょ。それで、暮らしをよくしちゃう。ダイソーの商品を使いながら、平気でダイソーを越えてくるでしょ。息を吸うように。どうやってそんな連中に勝てってんだ。

 

そう……(無関心)

たとえ私がスイス銀行から引き出した金の力を武器に、ありったけの上等なものを揃えたとしても、彼らはそれをダイソーのひと振りで越えてくるでしょう。ほんとやんなっちゃうよ。彼らが暮らしをよくすることに長けている理由、それは暮らしをよくすることが好きだからだろう。きっと。多分。知らんけど。好きこそ物の上手なれだ。一方で私は、インテリアだのなんだのと小細工を弄しつつも、内心暮らしをよくすることに興味がないんだと思う。私は私の暮らしに興味ないんだと思う。私さんが宮殿で暮らそうがゴミ屋敷で暮らそうが、そんなに興味がないんだと思う。だから私の目に映るダイソーの小物入れは所詮ダイソーの小物入れでしかないのだ。彼らの目にはきっと、ダイソーの小物入れ以上のものが映っている。

 

わざ構成:あばれる/じたばた/からげんき/じばく

私が私の暮らしにまるで興味がないのに、私の暮らしを整えるとか丁寧な私の暮らしとか、そんなの想像できっこない。無理に想像しようとすればするほど、私の暮らしはどんどん廃墟になっていく。だから私は「暮らしを整える」とか「丁寧な暮らし」というフレーズがあんまり好きじゃないのだ。暮らしがヘタクソだから。整えようともがいたぶんだけ、その場でじたばた暴れたぶんだけ、振り回された私の手足が私の暮らしをめちゃくちゃにするから。整えようとせずして整えねばならんのだ。あーもうめちゃくちゃだよ。元々めちゃくちゃだよ。

 

 

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