珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

シュレディンガーのお弁当箱についての覚書|湯煎したレトルトカレーを単体で食べようと思ったらスプーンがなくて袋から直接飲んだことある

これくらいのお弁当を作りましょう

まずは木を植えます

 

木を植えるための土も要りますよ!

これくらいのお弁当箱におにぎりおにぎりちょいと詰めようと思ったらこれくらいのお弁当箱がなかったのでまずはこれくらいのお弁当箱を作るところから始めます。これくらいのお弁当箱を作ろうと思ったら材料がなかったのでまずは木を植えるところから始めます。でも木を植えるところから始めると大変なのでやっぱりやめます。こうして今日も昼食抜きが確定したわけです。人生に似てますね。

人生に似てますねの原点

 

我々に時間が無限にあったらなにも諦めずに済むのだろうか

なにかを始めるにあたって、甲を作るための乙がない、乙を作るための丙がない、丙を作るための丁がない……といった具合に、いくらでも遡れてしまう。いくらでも遡る過程のどこかでいつも必ず諦めてしまう。根本に突き当たってさらにそこから始めようとするだけの根性と忍耐力が明らかに不足している。むかしむかしに神様が一体なにを始めたかったのかは文字通り神のみぞ知るところであるが、「じゃあ世界を創るところから始めます」ってなるあたり、流石神様って感じ。神様はよっぽど根性と忍耐力があるんだなあ。さもなくば壊滅的に諦めが悪いかだ。

 

世界中のお弁当を作る人に幸あれ

これくらいのお弁当箱は概念。容れ物は、大切。これくらいのお弁当を作るのにいちばん必要なもの。これくらいのお弁当箱。これくらいのお弁当箱の中に、「起きたら冷蔵庫の中身が空っぽで作れませんでした!テへ!」と書いた紙1枚入れておけば、具材がなくともとりあえずこれくらいのお弁当である。仕方ないよ。冷蔵庫の中身が空っぽだったんだもの。空っぽからじゃなにも作れないもの。朝から買い物に行くのは大変だし。でもこれくらいのお弁当箱は用意したのよ。中身は何も入ってないけれど。持ち上げたときの軽さですぐに気が付くでしょうけど。ただ外から見ただけじゃ分からないでしょう。中身が入っているお弁当と入っていないお弁当の違いなんて、外見からじゃ分からないのよ。だからせめて見た目だけでもと思って、これくらいのお弁当箱を用意したのよ。褒めてね。

 

中身を知られて友達に噂とかされると恥ずかしいし

私はこれくらいのお弁当箱の蓋を厳重に閉じている。鍵を何重にもかけて、絶対に他人が開けられないように。その中身を見られないように。中に何も入っていないことを誰にも気づかれないように。さらに、これくらいのお弁当箱が絶対にそこから動かないよう厳重に固定している。世界一強力な接着剤で机に固定して、その周りをセメントで固めて、絶対に他人が持ち上げられないように。その重さを知られないように。中に何も入っていないことを誰にも気づかれないように。

 

カレーは飲み物

多分何を言ってるのかわからねーと思うが私は昔からごはんとおかずをセットで食べるのが苦手なのである。米だけで腹いっぱい食事を済ませるか、おかずだけで腹いっぱい食事を済ませたい性分なのである。私が「昨日カレー食べた」と言うとき、基本的にカレールーしか食ってない。飲んでないと言うべきか。カレーにライスを合わせるのは、なんかこう、ちょっと贅沢すぎます。どっちかでいいです。カレーか、ライスか。つまりただのライスも私にとっては広義のカレーなんです。これは私の性根が偏っているか、あるいは、私に2種類以上の物事を並行して処理する能力がないのかもしれません。そんなわけで、お弁当なるものをもう随分と食べていない。『ごはんを食べる』『おかずも食べる』「両方」やらなくっちゃあならないのが「お弁当」のつらいところだな。覚悟はいいか?オレはできてない

 

ちなみに

パンとおかずならわりと普通にいける。例を挙げれば昨日の夕飯、コーヒークリームデニッシュニラの炒め物とかいう地獄のような組み合わせでも平気でペロリだ。どちらもスーパーで半額になっていたから買った。半額は最高のスパイス。

 

 

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