珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

この世には『結果』だけが残ったらいいなあっていう覚書|ジョジョの歴代ボスの中ではディアボロが1番好きです

キング・クリムゾン

日々「労働をした」という結果だけを感じて生きていたいしもっと言えば「給料を得た」という結果だけを感じて生きていたいしもっと言えば「生きた」という結果だけを感じて生きていたいなあ。経過はなにも要らない。途中にあるものはなにも要らない。結果へと至る道の上に落ちているものはたとえ黄金であろうとも必要ない。早い話が、「労働をした記憶は一切無いけれど『労働をした』という結果は残っている」という状態にありたい。みなさんもそうですよね?とはいえこうは言ったものの、私は別に労働をせずして「労働をした」という結果だけを得たいわけではない。労働をしなくて済むのならそもそも「『労働をした』という結果だけを感じて生きていたいなあ」などと考える必要はないのである。よって、労働をするのは別に構わない。けれども最後に残るものは「労働をした」という結果だけであってほしい。

 

YATTA!YATTA!

結果。結果。結果。結果だけ。結果だけあればいい。結果1枚あればいい。少なくとも私の生活においては、労働の過程から得られるものはなにもない。ただ、労働の結果からは給料が得られる。だから、労働の結果だけあればいい。もしも私の労働の過程の中に学びや発見が沢山あったならば、こんなことは思いつきもしなかっただろう。そう、私の過程に価値があったならば。過程の木には毎日瑞々しい果実が実り、私はそれを毎日収穫し、新鮮なうちにかぶりつくことも出来ただろう。有益な果実が熟して腐って地に落ちるその瞬間まで棒立ちで眺める必要はどこにもないのである。ところがぎっちょん、私の中の過程の木は既に枯れ木である。そこになんの実もつけることはない。その枯れ木のてっぺんに1枚だけくっついている結果という尊い葉っぱが、気まぐれな風に吹かれて私の手元に落ちてくるその時を、ひたすら待ち続けるしかないのだ。

 

白昼堂々こちらの首を狙いに来る暗殺者vs白昼堂々暗殺者の首を狙いに行く私

過程に耐えることはなかなかどうして骨が折れる。先程は過程を木に例えたが、今度はもっとアグレッシブなものに例えてみよう。刺客とか。過程は私の首を本気で狙いに来る。その刃を全て躱すのは並大抵のことではない。また、過程はいくら私の首元に匕首を突きつけようが振りかざそうがお咎め無しにも関わらず、一方の私はというと、せいぜい柱の周りを逃げ回ることしか許されない。過程に手を出すことは一切許されない。過程に指一本触れることすら許されない。実際私にできることは、過程に背を向けてただただ逃げ回るか、さもなくばその場しのぎの口上で相手を宥めすかして時間稼ぎをすることくらいである。これってあまりにも不平等じゃありませんか。私にだって過程の首を本気で狙う権利があると思います。ハア、人間は一生のうちで何億回何兆回過程に耐えることになるのだろう。

 

ここ激ウマギャグの墓

当初は「過程」ではなく「経過」としていたために匕首のくだりで荊軻かな?(経過だけに)」という激ウマギャグを披露するつもりだったが推敲の段階で全ての「経過」を「過程」に改めたせいでそれが不可能になってしまったことをここに書いておく

 

頭のどこかに穴があいているとしか思えない記憶力

ハァー。毎日毎日結果だけがあればいいのにな。最初のうちは「今日1日なにをしたかさっぱり覚えていないが身体がヘロヘロになっている」とか「今月1ヶ月なにをしたかさっぱり覚えていないが口座にお金が振り込まれている」という現象に戸惑うかもしれないが、慣れてしまえばこんなにいいこともなかろう。唯一困ることと言えば、ウーン、本を読むのには少々不都合かもしれない。「ここ数日なにをしたかさっぱり覚えていないが手元にある本の最初から最後まで付箋がついている」という状況は、ちと面白くない。なんせ本を読むことは好きだが読んだそばから内容がポロポロ抜け落ちていくような不出来な頭なので、「読んだ記憶はないが本の内容は思い出せる」というファンタジーめいた結果にはなるまい。「読んだ記憶はないし本の内容も思い出せない」って、それ読んでないのと同じやないですか。本を読んでいる間だけは、過程を残しておいてほしい。それって虫が良すぎますかね?

 

最も善いのは

自己に関する全ての過程が予め埋葬されていることだ……

 

 

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