珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

なにかを探している覚書|頭も煮えてるし豆も煮えてるんだな

ない

ない……

 

探すものを探してる

ウーン、ない。何がないって、なんかそう、モロモロさ。モロモロとしか言いようがないモロモロさ。具体的なものが一切見えてこないな。その点、吉幾三の曲は具体性に溢れていて素晴らしいな。何がないって自分でちゃんと理解してるものな。ウーン。まあそういう気分の時もあるさ。読者諸賢は是非とも、自分に何がないのかも分かってない人が「ない!ない!」って言って慌てふためきながらどこにもないナニカを探している、そんな滑稽な光景(ここちょっとギャグ)を思い浮かべながら、緑茶片手におせんべいでも齧って、どうぞ。

 

芋(豆)

私、小豆やあんこを筆頭に甘く煮付けた豆がメチャクチャ苦手なんですけど、さきほど閉店30分前のスーパーで蜜漬け豆がゴロゴロ入ったフランスパンを買ってきてしまうくらいには判断能力が低下しています。小豆、金時豆、うぐいす豆。なるほど。すげえ。どこ齧っても豆だ。逃げ場がない。中央のあんこさえ避ければなんとかなるあんパンと違って、なんとかなるポイントが全くない。手作業で豆を取り除けばどうにかってレベルじゃない。豆を全て取り除いた頃にはほとんど何も残っていないことだろう。豆が入ったフランスパンじゃなくてフランスパンが入った豆と呼んだ方が正しい。これ本当に138円でいいんですか?178円くらいするやつじゃなくて?甘い煮豆が好きな人にはたまらんだろうなあ。買ってきてしまったものは仕方がないので、食う。ウン、豆。あっま。まあしかしなんだ、目をつむって「これは芋」と念じながら食べたら芋に思えなくもないな。薄皮付きの芋って感じ。豆の方はてんでだめだが、蜜漬け芋が入ったパンは大好きなんだ。これは芋、これは芋、これは芋……

 

蜜漬け豆が一粒、蜜漬け豆が二粒、蜜漬け豆が三粒……

目を瞑ってこれは芋これは芋と思って食ったら豆も芋になるように(なるのかな?)、目を瞑ってここにあるここにあると思って生きたらないもあるになればよいのになあ。目を瞑っては生きられないって?そりゃ道理だ。しかし目を瞑っている間も人は生きているのだ。目を瞑っていては生きられないが、生きるためには目を瞑らねばならぬのだ。まったくねえ、眠いったらありゃしない。

 

虚無を数えたり探したりしろ

自分にないものをいちいち数えていてはそのうち人生が暮れてしまうので、人は自分に関するなにかを数えるとき、あるものの方を数えるのだ。かしこい。人のかしこさだね。しかし自分にあるものをいちいち探していてはそのうち人生が暮れてしまうので、人は自分に関するなにかを数えるとき、ないものの方を探すのだ。かしこい。これもまた、人のかしこさだね。数えるならあるものの方を、探すならないものの方を!それで、ないものがあまりにもゴロゴロ出てくるものだから辟易して、人はまたあるものの方を数え始めるのだ。おバカ。おバカだね。人って。

 

あんぱんは悪くない悪いのは私

ゴロゴロでまた蜜漬け豆がゴロゴロ入ったフランスパンのことを思い出してしまった。どうするんだよこれ。本当に。どうするんだよ。昨日は空腹に任せて2切れ食らってしまったが、あと3切れ、どうにも食う気にならぬ。あっ、日付変わってます。昨日の私、どうして自分が食べられないパンを買ってしまったの。というのものですね、私、焼け目の色が濃いパンに弱いんですよ。特にフランスパンの焼け目が。フランスパンの焼け目の色が濃いパンに弱い。例のフランスパンはそりゃもう惚れ惚れするほどの焦げ茶色だった。だからついつい買ってしまったんですねえ。安いフランスパンの表面はカップうどんのお揚げみたいな色してるでしょ。でもちょっと値が張るフランスパンの表面はじっくり揚げた唐揚げみたいな色してることが多い。しらんけど。私にパンを買わせたかったら、じっくり揚げた唐揚げみたいな色になるまで焼くがよい。でもあんぱんはどうしても食べられない。あんぱんはだいたいじっくり揚げた唐揚げみたいな色をしている。幼稚園のころおやつにあんぱんが出て泣いた。もう28歳だけど、今でもおやつにあんぱんが出たら泣くと思う。

 

なにもかもを五月病のせいにできるのもあと1週間なので悔いが残らぬよう今のうちにすべてを五月病のせいにしてしまおうありとあらゆるすべてを

最近マジで調子が悪いのでこんなクソポエムみたいなことを書いてしまう。調子が悪いと頭が回らない。頭が回らないとなれば脊髄を回すしかない。脊髄で書いている。まあ五月だし、いいんじゃないかな。脊髄で書いても。