こうして私は無限に必要とされる覚書|いらない
なるほど完璧に理解した
あのですねなんかこういいかんじのあれをああしたいわけなんですけどそうするとそれがこうなるからそうそうそうなんですよねどういうわけかああならないのでまずはこれをそういうふうにこうしといてそれからかのあれをこれこれちくわこうこうしてそうするとああそれもあれですねしかしあれがかようになるわけですからそれよりこれをこちらにそうすることであれがああなっていいかんじにそうなるところのそうですそれそれそれがあのようにそうなるわけだからこうなるとそちらもそうなってくるだろうしああいうあれがあちらにああすることもじゃあそれにこれするということでここはひとつ
上の文章にちくわが隠れているぞ!探してみよう!
自己との対話。自己との対話はある意味ラクでいい。指示語があれば大体どうにかなるから。いちいち具体的な言葉を用いずとも自己は全てを変換してくれるはずだから。いちいち具体的な説明を挟まなくとも自己は全てを納得してくれるはずだから。いちいち具体的な理由を並べ立てなくとも自己は全てを察してくれるはずだから。いちいち具体的な目的を掲げなくとも自己は全てを意味のあるものとしてくれるはずだから。いちいち具体的な定義を供さずとも自己は自己の内で全てを定義してくれるはずだから。ほんとにござるかぁ?
劇団ふたり(ひとり)
そう……自己は……自己との対話に必要なものは本来何もなくて……自己との対話を遂行するにはただ自己さえあればよくて……そう自己さえ……自己さえあれば……自己さえあれば?ウーン。対話を持ちかける側の自己と、対話を持ちかけられる側の自己さえあれば。話しかける側の自己と、話しかけられる側の自己さえあれば。働きかける側の自己と、働きを受ける側の自己さえあれば。こっち側の自己と、あっち側の自己さえあれば。ウーン。あの、人が自己と対話するとか自己と向き合うとか自己を見つめるとかいう類のことを言うときって、やはり自己を最低でもふたつ用意しておくことが大前提なんですよね?そのうちひとつはここにあるからまあいいとして、あとのひとつって皆さんいつもどうやって用意してますか?私の問いかけに 私 が答えたってどうしようもないでしょう?問いかける私に対し、決して私ではないところの私が必要でしょう?私だけど決して私ではないところの私が。私はなにも私の一人芝居がしたいんじゃないんですよ。私、それと決して私ではないところの私、 我々の一人芝居 じゃなきゃだめなんですよ。
私はいくらあっても困らない
生き別れた自己を探す旅に出よう。決して私ではないところの私を探す旅に出よう。私と対話してくれるはずの存在を探す旅に出よう。私が問いかけること全てに答えてくれる相棒を探す旅に出よう。そしていつかそれを見つけたとき、それが私の探していた自己であることを検証し、実証し、保証してくれるような然るべき機関に一旦引き渡して証明書を発行してもらって……ええと……あの……あの。あの、白黒さん?検証、実証、保証?一体何を言っているんですか?イヤだってほら、ひょっとすると、私の思い違いって可能性もあるし、私の空似ってことも有りうるし、そういう真偽をジャッジしてくれる存在がないとダメじゃないですか?鑑定団がいないなんでも鑑定団みたいな感じになっちゃうじゃないですか。例えば出品者が「これは我が家に代々伝わる織田信長の愛刀です、5000億円の価値があります」って言って、司会者が「これは織田信長の愛刀です!5000億円の価値があります!ワーすごい!それではみなさんまた来週!」って言ったって、番組としてちっとも面白くないじゃないですか。今まさに目の前にいる存在が決して私ではないところの私であることを一体誰が証明してくれるんでしょう!私のことは私がいちばんよく分かっていますから、やっぱりそれも私でしょうか?そうなると、決して私ではないところの私であることを証明してくれる私が決して私ではないところの私であることを証明してくれる私であることを証明してくれる私も必要になりませんか?こうして私は無限に必要とされるのであった。それはとても幸福なことだと思います。
私の面倒も見切れないのに自と吾の面倒なんか見れるわけないだろいい加減にしろ
私っぽい奴らを無限に用意するのは骨が折れるので、とりあえず3人で妥協しようと思います。私自吾 があれば大体どうにかなるから。私、決して私ではないところの私、決して私ではないところの私が決して私ではないところの私であることを証明してくれる私。役割の違う私が3人かあ。一生かかっても用意できそうにありませんね。