珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

ひょっとすると私は二次元に生きてきたのかもしれない覚書|『次元が違います。正しい次元を入力してください』

情熱の赤いバラ そしてジェラシー

「ツテ」とか「コネ」という言葉を見ると訳もなくへこむ。いや、訳はある。訳はあるぞ。私はそんなものをひとつも持っていないからだ。私はそんなものをひとつも持っていないのに、人間、いや社会的人間というものの生涯は、これを持っているか否かに左右されるようなところが大いにありすぎるくらいあるからである。持ってる人は地球の裏側へ掃き捨てていいほど持っている。けど持ってない人は地球の裏側まで掻き集めに行くほど持ってない。これは由々しき事態である。「国語や算数の能力同様コミュニケーション能力にも個人差があります」じゃ済まされないぞ。あくまで、いや、これはあくまで仮定に過ぎないことだが、万が一にも、親の財力と当人のコミュ力で人生の12割が決まってしまうようなことがあるとすれば、そんなのあんまりにもあんまりじゃあないか?

 

これ以降「努力」という単語はNGワードになります

「コミュニケーション強者の彼らもツテやコネを維持するために日々努力しているんだぞ」と言われたら何一つ努力していないコミュニケーション弱者の私はもうそれ以上何も言えなくなってしまいますからね

 

戦国時代に種子島からレーザーガンが伝わったくらいの飛躍度なんだよな実際

今はある海外のノンフィクション……小説?小説ではないな。ドキュメンタリー。なんかそういうドキュメンタリーを読んでいて、その舞台は現実で実際に起こった戦争というか内紛というかそういうやつなのだが、そこでは登場人物が持っているツテとかコネを使って必死に生き繋いでいる様子が半インタビュー形式で生々しく描かれている。そのツテとかコネってのが、そのへんの知事や市長と知り合いとかそういうレベルじゃなくて、アメリカのエライさんとか、国連の超エライさんとか、そういう人達とガンガン連絡を取り合っているので、マジで次元が違うんだ。過去、そう遠くもない過去、実際に地球上で起こった出来事のはずなのに、そこだけがどうにもフィクションじみていて、なんだかふわふわする。

 

ほえー 身近な人間って遠いところにいるんだなあ

大学生の頃、バイト先に警察官を目指している男の子がいた。彼曰く、「所属している陸上部の監督が警察のエライさんと知り合いだから今度ちょっと紹介してもらう」云々。ほえー。もうこの時点で次元が違う。まず「所属している陸上部」って時点で次元が違う。ほえー。走るのって……キツくない?足が速いと、あるいは長く走れると、やっぱり楽しいのかな?小さい頃から足が速いねって褒められたり、かけっこで1位になったりしてると、楽しくなるのかな?でも……キツくない?まあいいや。次に、「陸上部の監督」。ほえー。監督と距離が近いんすねえ。所属してる部活の監督と仲がいいのは普通なのかな?運動部入ったことないから分からないや。自分の倍くらいの年齢の人と仲良く出来るのってすごいよね。次に、「監督が警察のエライさんと知り合い」。ほえー。なんだろ。同級生とかかつての先輩後輩とかそういう線もあるな。そんでトドメに、「ちょっと紹介してもらう」。ほえー。大学生と、陸上部監督と、警察のエライさんと、そこで一本の線になるわけですね。そういう世界に入ったことないから分からないや。なんかもう、ほんと、次元が違うんですよ。何もかも。

 

二次元に生きてきたと言われれば概ねそう(元オタク並感)

私は今更コネやツテがあったところでどうにもならない身分だし、そもそもそんなものがあったら今頃もっと別の身分になっていたのは確実なわけで、仮定に仮定を乗算するような真似をしても仕方がない。しかし、空想くらいは許して頂けるだろう。さて、ここにふたつの空想がある。私はどちらを選んで空想すべきだろう。「10年前の私にコネやツテがあったら、今頃どんな人生を送っていたか?」「10年前の私がコネやツテを抜きによりよい人生のルートへ進もうと思ったら、一体どのような行動を取るべきだったのか?」……こんな虚しい空想もないですね。両方やめます。代わりに、こうしましょう。「今の私は、何をすべきか?」これですね!やっぱりこれに限ります!

 

まあそれはそれとして

今私の隣でホームベーカリーが一生懸命生地をこねこねしてます。かわいいね。