珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

余を知り朕を知り我を知り私を知り己を知りても百戦殆うい覚書|知れば知るほど知らないひとになっていくひと

「カラン……」はロックグラスの氷が溶けた音もしくはトイレットペーパーが切れた音を表す日本語表現です

トイレットペーパーが切れたのでトイレの床にドスンと置いてある新品の18ロール入りトイレットペーパーの袋をビリビリしてたらふと思った。私、この18ロール入りトイレットペーパーをどのくらいのペースで消費しているんだろうと。家計簿つけてないし、全然分からない。残り2、3ロールくらいになったらいつものスーパーへ買いに行く。18ロール入りのトイレットペーパー、ギリッギリで手持ちのエコバッグに入るからたすかる。トイレットペーパーを手にそのまま持って徒歩で家路につくの、なーんかイヤなんですよね。私はウンコする生き物です!って主張しながら歩いてるみたいで。ウンコしない生き物が地球上にどのくらいいるのか分かりませんが。来世はできればウンコしない生き物に生まれて、浮いたトイレットペーパー代でウンコする生き物にマウントを取りたいと思います。

 

ブログタイトルの「珈琲三杯」は私が毎日コーヒーを3杯くらい飲むって意味なんですけど3杯くらいってのは0杯だったり5杯だったりするってことです

自分が1か月に使うトイレットペーパーの量。全然知らないな。自分が1か月に食べる食パンの枚数。全然知らないな。自分が1か月に飲むコーヒーの杯数。全然知らないな。私、自分のこと、全然知らないな。そう考えると、月々の電気代や水道代やガス代やスマホ代なんかは大変親切ですね。あなたは今月このくらい使いましたよって教えてくれるんだもの。そろそろトイレットペーパーも蛇口をひねれば出てくる時代がやってきて欲しいものだ。それで、毎月使用明細が送られてくる。先月は使いすぎたな、そういえば先月中ごろに腹壊して大変なことになったっけな、みたいなことが分かる。分かる。分かるだけ。

 

この世で最も不毛な仕事です

自分明細。必要ですか?自分についてのありとあらゆる明細。まあどうせ我々人間にはそんな明細作れっこないわけで、実際にその明細を作る仕事をするのは神様だ。あの人(?)は何でも知ってるから。神に仕事させるのは気分がいいし、試しに受け取ってみるのもアリなんじゃないか。とはいえ1日ごとに送られてくるのは煩わしいし、1年に1度じゃ住民税のお知らせを彷彿とさせて大変イヤな気分になるので、やっぱり1か月に1度くらいが望ましい。先月に消費したトイレットペーパーの量、食べた食パンの量、飲んだコーヒーの量、破れた靴下の量、抜けた髪の毛の量、全部1枚の紙にまとめて送られてくる。ウーン。やっぱり自分のことはあんまり知らなくていいや。

 

自然界でこんなことをやってたら秒で命がなくなります

自分のことは知っておくに越したことはないし、知らないに越したことはない。ウム。これこれ。自分のことをよりたくさん知っておけばいざというときに役に立つし、自分のことをよりたくさん知らないでおけばいざというときに都合がいい。すなわち、自分のことをよりたくさん知っておけば説明できる物事を訳知り顔で説明するときに役に立つし、自分のことをよりたくさん知らないでおけば説明できない物事をアホ面で説明放棄するときに都合がいいのだ。ふふん。「自分のことは自分がいちばんよく分かっている」と、「自分のことなのに自分がいちばんよく分かっていない」は両立できるのさ。人間に限ればな。ふふん。