珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

幸福とストレスの契約プランについての覚書|格安人生に乗り換えて生命力を節約しよう

拝啓、お客様

床で寝るな。裸になるな。備品を壊すな。トイレに煙草を流すな。事務所に入るな。ゲロをするな。うんこを漏らすな。時々自分は劣悪な介護施設か何かで働いているのではないかと錯覚することがある。客が漏らしたうんこを始末する羽目になった従業員は本当にご愁傷様としか言い様がない。それにしたって、失態を犯したと思っているのは当人だけで実際は誰も被っていない架空の迷惑について気にしすぎて倒れる人がいる一方、行く先々で他人にストレスを与えまくっても全く平気な顔をしている人がいるという現実は本当にやるせない。どうか善良な人々のストレスが減りますように。ストレスをばら撒く人間が滅びますように。

80年縛り契約

もういっそのこと、幸福量とストレス量も一ヶ月単位の二段階定額制にしてほしい。人間誰もが最低保証の幸福量(多いに越したことはない)と最低ノルマのストレス量(少ないに越したことはない)があって、そこから先はしばらく「本人の活動次第」という範囲が続き、幸福とストレスがそれぞれ上限に達した段階で月末まで平凡な日常が続く。ちなみにこの幸福量は、「他人に対してストレスを与えそれによってある種の快感を得た(自覚した)」場合も蓄積される。つまり故意に或いは過度に迷惑を掛けるとその月の幸福量があっという間に上限に達してしまい、あとは翌月になるまでストレスが溜まるばかりの日々を過ごすというわけだ。パリピの皆様方からすればなんと極悪なプランだと思われるだろう。毎日が楽しいことだらけなのに、毎月の幸福量の上限を決められるなんてとんでもないと。こうなったらクレームの電話を入れて罵詈雑言浴びせて速攻で解約してやると。まあ例えそれを実行したとしても、受話器の向こうのお姉さんにストレスを与え自分はスッキリしている段階で当人の幸福量は上限にどんどん近づいていくんですけどね。毎日が楽しいことだらけの人間、ざまあみろ!

電話する相手がいないので通話料が従量課金のプランでも全く問題ないんですね

幸福とストレスのプランについてもう少しだけ考えてみよう。これも通信会社よろしく低額のライトプランから高額のギガプランまで様々ある。低額プランだと幸福量が控えめな一方でストレス量も控えめ。料金が安い分、ささやかな幸せと共に慎ましく生きられるプラン。高額プランは幸福量の上限が高い一方でストレス量の上限も高い。今月のストレス量はいつ上限に達するんだとイライラする場面もあるだろうが、その分リターンも大きいという天国と地獄を行き来しながら破天荒な生き方が出来るプランである。ちなみに当然のことながら裏プランも存在する。一般人には契約することが出来ないプランで、幸福量の上限はほぼ無限に等しく、ストレス量の上限はライトプラン同様かそれ未満しかない。選ばれし上流階級のみに契約が許される生涯勝ち組保証プラン。契約ショップの場所も一般には知られていない極秘の場所にあって、目隠しをされ高級外車に乗せられて連れて行かれるアレ。多分パナマとかにある。

愛すべき不幸たち

別に私は毎日が楽しいことだらけのパーリーピーポーに恨みがあるわけではない。経済を回しているのは私のような守銭奴貧乏ではなく、使うときにパーッと使う陽気な人々だからだ。こっちはそもそもお金を費やすだけの楽しいことが無いわけだし。だからそう、つまり、毎日が楽しいことだらけの人間が羨ましいのである。しかしながら、楽しいことが欲しい、楽しいことが無いと嘆く一方で、わざと楽しいことから逃げている自覚もある。貧乏フリーターとはいえちょっと口座を絞ればゲーム機だって買えるし、旅行にも行けるし、ハムスターだって飼おうと思えば飼えるのだ。しかし何かと理由をつけてそれらをやろうとしないのは、楽しいことが無い自分に酔っているというか、逆自惚れのようなものだあるからだろう。自分から不幸を取ったら何が残るのだろう、自分から不幸が消えたら一体誰が自分のことを哀れんでくれるのだろうと考えると恐ろしくなり、それで不幸にしがみついているのだ。先程の話で述べた最低保証の幸福とは、つまるところ幸福の強制である。私のように不幸にしがみついている人間に無理矢理幸福を与える、乱暴な優しさである。

恐ろしいけどやっぱり欲しい、幸福の最低保証。

 

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