珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

ジャイアニズムについてわりと真面目に考える覚書|結局「おれのもの」ってどこにあるんだ

※違います

まことに、「友のものは共なるもの」という諺はただしい。共同性において、フィリア は存在するのであるから。

アリストテレス『ニコマコス倫理学(下)』p90,岩波文庫,1973

ジャイアニズム亜種は紀元前から存在した……?

 

剛田武といふ男

いや、まあ、ウン、あったでしょうな。勿論私がここで示している肯定は、アリストテレスジャイアニズムを説いているという馬鹿げたものに対してではなく、「おまえのものはおれのもの」という観念くらい紀元前どころかずっとずっと太古の時代からあっただろうよ、という旨に対してである。わざわざ補足する必要もなかろうが、アリストテレスの主張の中心は愛ある関係のうちには大なり小なり共同性がある、ということであって、決して「おまえのものはおれのもの」などという主張ではない。そもそも先の言葉をジャイアン風に言い表すなら「おまえのものはおれのもの」ではなくして「おまえのものはみんなのもの」である。つまり、のび太のものはジャイアンのものであるだけではなくドラえもんのものでもあるし、しずかちゃんのものでもあるし、スネ夫のものでもあるし、出来杉くんのものでもあるわけだ。彼らが真に愛ある関係であるならば。

 

自分が金出して買ったものを所有権ごとその場で誰かに譲り渡すって愛がなくちゃできないよね

それは一旦措いといて、子供の取り扱えるものが完全に「彼(彼女)のもの」になるタイミングっていつなんだろう。ごくごく小さい子供の、というか赤ちゃんのものはどこまで彼(彼女)のものなのだろう。例えば、哺乳瓶は赤ちゃんのものであるのか?それとも保護者のものであるのか?私としては、哺乳瓶は保護者のものであり、何故なら保護者が赤ちゃんを養育する上で使用するものだからと回答したいのだが、もちろん用途の対象である赤ちゃんのものとしてもよい。これが例えば幼稚園のれんらくノートなんかになると、また悩みどころである。話がややこしくなるので幼稚園のものという可能性は一旦捨てよう。幼稚園のれんらくノートは園児のものであるのか?それとも保護者のものであるのか?まあ、これらはこの際どちらでもよいことだ。これは投げやりで言っているのではなくて、親と子、2人が真に愛ある関係の中にいる限りにおいて、まことにどちらのものでもよいのだから、どちらでもよいのである。

 

ところでジャイアンのび太って友達なんですか?

「~のもの」と「~のもちもの」の絶妙なニュアンスの違いについて。もしもジャイアンのび太に向かって「おまえのもちものはおれのもちもの」と宣っていたら、なんというか、漫画のキャラクターの台詞としてもあんまり面白くないし、人間の台詞としては全く笑えないんだよなあ。何故というに、そこでは明らかにのび太という一個人が所有権を保持しているものに対してジャイアンという一個人が自身の所有権を主張していることになって、どう見てもジャイアンは一線を超えてしまっているからである。それが「おまえのものはおれのもの」であれば、それも同じく一線を超えてしまっているかもしれないが、もしかすると一線は超えていないのかもしれないという希望的観測が生まれる。「~のもの」という、一見はっきりしてそうで実はそうではない所有、いや、所属・・ のふわふわ具合故に。また「友のものは共なるもの」という言葉の故に。すなわち、彼らは真に愛ある関係(共同体)の中にいるのだから、赤ちゃんとその保護者との間にある「どちらのものでもよい」には及ばずとも、まあわりかしどちらのものでもよくて、どちらでもよい可能性があるということだ。もしもジャイアンのび太 そういう関係・・・・・・ にあるならばね。友達って意味ですよ!

 

中1の頃地元駅から一緒にJRで通学していた女の子が私がスクールバッグに挿していた可愛いヘアピンをこっそりくすねた挙句それを自分のバッグに付けて私の前に堂々現れたときは何が起こったか分からなかった(流石にそれきり彼女と通学するのはやめた)

まあ結局は、「おまえのものはおれのもの」だろうと「おまえのもちものはおれのもちもの」だろうとジャイアンのやることは何も変わらないのだろうが、根幹の部分がまるで異なっている点には注意しておきたい。話はやや逸れるが、自分で働いて得た金で自分の生活を賄うようになってからというもの、ジャイアンよ、お前が今のび太から強奪したそれは、のび太の父親であるのび助が汗水垂らして働いて得た金で可愛い我が子に与えたものだということを分かっているのかね」と、そういう視点であのやり取りを見てしまうのだ。イヤハヤまったく小学生相手に大人げないこと。それに、のび助ほどの器なら「まあまあ子供のじゃれあいなんだから」と言ってあっさり許してくれそうだし、全くの部外者である私がひとりでプリプリしているのも滑稽な話である。そもそもそれくらいの子供に対してそんな裏事情を熱心に説く必要はまだあるまい。早熟な子なら言わずとも分かっているかもしれないが。単なる「もの」が「もちもの」になるまでの経緯、その背後にある大人の頑張り、そういったものをまるで考えず、「おれ」「おまえ」の所有権をころころ転がして無邪気に遊べるのが子供なのだ。もちろん、時にはそれがトラブルのもとにもなるだろう。そうやって色々失敗しながら所有権の扱いについて学んでいくのだ。仮に大人になってもそんな風に自他の所有権をころころ転がして無邪気に遊んでいたら大変なことになるのだから。そう、大変なことに。

 

熱いシーンでグラサンキャラのグラサンが吹き飛ぶ演出すこ

最後にドラえもんを読んだのも見たのも20年近く前なので、ドラえもんガチ勢からすればにわか乙もいいところの物言いを沢山しただろうが、どうか大目に見て頂きたい。ちなみにドラベースなら小学生の頃かなり熱心に読んでいた。名前は忘れたけど助っ人外国人みたいないつもグラサンかけてガム噛んでるクールなやついたじゃないですか。彼がめちゃくちゃ好きだったんですよ。思えば、二次元のキャラにガチ恋したのは彼が初めてだったかもしれませんね。二次元初恋が猫型ロボットかあ。いやそれよりもそんな頃からクールキャラが好きだったのかあ。三年生の性癖百までだなあ。

 

 

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