珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

己の目ン玉の存在意義について小一時間考える覚書|毎号付いてくる都合の悪いものを排除して君だけの現実を作ろう

吾輩の辞書にワンルームという文字がなかった

居室からキッチン・玄関側を見えなくするためにカットできる間仕切りのれんを買った。普通こういうのは、玄関側=来訪者から居室を見えなくするために買うものだと思うのだが、私の場合これでいいのだ。設置した感想。間仕切りのれん、サイコー。居室からキッチンと玄関が見えないだけで、黒い布で仕切るだけで、これほど自室感が増すとは思っていなかった。良くも悪くも家賃相応のキッチン、コーヒーカップを洗うくらいしか使い道がないキッチン、にんじんみたいな色の花柄タイルが最高に気に食わないキッチン、私の視界から綺麗さっぱり消え去った。もっと早く買えばよかった。アイデアを思いついてから、100均でポールとカーテンフックを購入するまでは早かった。肝心ののれんを買うまでに1年近くかかった。楽天スーパーセールの勢いに押されることがなかったらあと1年はかかっていたと思う。まあ、なんだ、つまりが、私が以前の記事で「うちは1Kだよ」などと言っていたのは真っ赤な嘘で、正しくはワンルームだったのである。

 

shirokuro-044.hatenablog.jp

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生き方はちっとも分からないくせにやり過ごし方ばかり身についていく

「見ない」「見えない」「見ていない」。人生を穏便にやり過ごす上で大切な三要素です。どれも大変にロクでもない要素ですがこれがまた大変に効くのです。人生を充実の上で過ごしたい人には向かないかもしれませんが。

 

「見ない」

これはまあそのまんまで、見ないようにしようってことだ。いちばん手っ取り早く、いちばんかんたんで、いちばんありふれたやり方だ。全てを観照するのはあくまで神様の仕事であって、人間の仕事は全てを観照しないことである。人が何かを見ないのも人の仕事のうち。神様を無職に追い込むのはやめよう。

 

「見えない」

これは「見ない」に近しいものだが、もっと強引で乱暴なものだ。そもそも見られないようにする。見るという選択肢を自分から奪ってしまうと言い換えてもよい。仮にPCのモニターから目を逸らすことを「見ない」とするならば、PCをシャットダウンしてしまうか、もしくはPCに覆いをかけるか、もしくはPCそのものを破壊するか、もしくは自分の目ン玉を破壊してしまうのが「見えない」だね。

 

「見ていない」

これに関しては習得までに一定の訓練を積む必要があるが、一度出来てしまえば二度目三度目は実に簡単だし、慣れてしまえばそれこそなんとも思わなくなる。たとえ「見ない」「見えない」の達人が相手であったとしても、ほんの一瞬の油断を突いて僅かな隙間から滑り込んでくるのが「見る」というものである。手のひらで水を押さえ込むにも限界がある。そこで……ハイ、「見ていない」の出番ですよ!私はなーんにも見ていない!これであらかた全てを無に帰することができます。人間に行える数少ない過去改変は、見たはずのものを「見ていない」と頑なに主張し続けることです。ヤバい現場を目撃した時にも使えるぞ!これでみんなも安心してヤバい現場を目撃できますね!

 

私の目には現実とその先を行く私とその先を行く現実とその先を行く私が映っているけれどそれだとまるで私が現実から走って逃げているように見えるのはただの錯覚です

私が現実を見ていないんじゃなくて現実が私を見ていないんだ。私の視界に映るものはどこまで行っても現実でしかないんだから。私は現実の中でしか生きられないけれど、現実は私の中じゃなくても生きられるだろう。私の中じゃなくても生きられる現実さんの方こそ、私の中で生きる努力をしたらどうなんですか。現実はもう少し私の問題と正面から向き合って対処しましょう。まず私をしっかり見て、そこに存在する問題の把握から努めましょう。私から逃げてばかりじゃ何も解決しませんよ。ほらほら私が追いかけてきますよ。私から目を逸らしているあなたを私が追いかけてきますよ。私から目を逸らしているあなたを追いかける私をあなたは追いかけてくださいよ。あなたならば、私から逃げながらでも私の背中が見えるでしょう。

 

 

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