珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

倍出せる覚書|私の給料が倍になれば倍出せる

おいしいパン屋さんのすごいところ

この大きさで1個240円か……ちょっと高いけどまあええわ買ったろ

このウマさで1個240円!!?やっす!?!!?!!!500円出せる

 

ってなるところ

めちゃんこいいパン屋さんを見つけてハッピー。買うときには決まって「ちょっと高い」って思うんだけど食い終わった頃には決まって「倍出せる」って思える。めちゃんこいいパン屋さんでしょ。この「倍出せる」って感覚、まさに幸せ体験だね。パンそのものの代金に240円払ったら、その後の幸せ体験にも240円払いたい。そりゃあもちろん最初から「倍出せる」と思って食い終わった頃にも「倍出せる」って思えるのがいちばんなんだろうけど、そんな無条件に倍プッシュ二連打できるほど私は貴族じゃないんだわ。

 

パン屋さんに行くと初めはいつも「お気に入りのパン1個+気になったパン1個」みたいな買い方をするんだけどそのうち気になったパンの中からお気に入りのパンが生まれるわけで最終的にどのパン屋さんでも「お気に入りのパン1個+お気に入りのパン1個」という固定メニューに行き着いてしまう

たとえば、オリーブパンの中に、ジューシーな刻みオリーブが想像を遥かに超えてぎっしり詰まっていたとき。たとえば、チーズパンの中に、濃厚なとろとろチーズが想像を遥かに超えてぎっしり詰まっていたとき。あっ、「倍出せる」。あそこのパン屋さんのパンは見た目こそ小ぶりだけど、生地の中に美味しいがぎっしり詰まってて、なんというんでしょうね、幸せ体験のことをめちゃんこ分かってるパン屋さんだね。いつだったか、「私はパンを食うことよりも買うことの方が好きなのかもしれない」とか抜かしてた人がいましたけど、いやそれはそれで否定するつもりはないんですけど、スーパーで値引きシールが貼られたお気に入りのパンをゲットできたときの幸せ体験とは、全く別ベクトルの幸せ体験なわけ。それらは比較するもんじゃない。どっちが優れているとかではなくて、どっちもいいんです。

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

間を取ったつもりで何も取ってないことってある

しかしこの……「食ったら分かる、倍出せるから」ってのは、「食わなくても分かる、半額だから」の軍勢と正面から殴り合うには、ちと分が悪いんじゃよなあ。しかも前者と後者じゃあ、小隊と旅団くらいの規模の違いがあるしなあ。この世がやさしい世界だったら別に殴り合う必要ないんですけど、ほら、世の中には競争ってものがね?でも聞いて、私はどっちも好きなのよ。「食ったら分かる、倍出せる」パンも、「食わなくても分かる、半額」のパンも。でも私如きの「どっちも好き」に、なーんの意味もないんでしょうね。「どっちも好き」に、争いを止める力は無いんでしょうね、「どっちも好き」じゃあ、何も変えられないんでしょうね。別に、パンの話に限った事ではなくってよ?おっと段々お嬢様が出てきましたわ。「どっちも好き」で争いが止まるなら、今頃世界には平和が大渋滞してますわ。それこそ平和に半額シール貼って投げ売りしてもいいくらいの在庫過剰に陥ってますわ。どちらかしか選べないというのなら、どちらも選ばない道を選ぶしかないのかしら。ハァ……ホームベーカリー買おうかな

 

サブウェイでいちばん好きなのはアレ名前忘れたけどひたすら野菜しか挟まってないやつ

この記事を書いた日、パン屋さんについてあまりにも深く考えすぎたせいか、お気に入りのパン屋さん3店がいっぺんに閉店した夢を見ました。跡地がサブウェイになってて、実を言うと私おいしいパン屋さんに負けず劣らずサブウェイが大好きなので、ふざけんなパン屋さんを返せと素直に文句を言えなかったのは本当にズルいと思いました。閉店したパン屋さんの店員さんたちが跡地にできたサブウェイで合同お別れ会開いて大盛り上がりしてたんですけど、あの人たちはそれでよかったんでしょうか。こんなに悲しい夢を見るくらいなら、もうパン屋さんについて深く考えるのはやめようと思います。おいしいパン屋さんがそこにあることは、それだけで幸せ体験なのです。